（P８)
設定破り目次へ 小説目次へ 前のページへ トップページへ戻る
Ｓｉｄｅ Ｂ 十
――――深い深い闇。
時間も空間さえなく、広がる闇を通してかすかにざわめく気配が聴こえる。
多くの魂の痛みと哀しみ、そしてそれ以上の感覚。
……怨み？ 憎悪？ 絶望？
強過ぎる、押し寄せる重圧で判別も出来ない。
沢山の記憶、感情、そして、魂の気配。
そして、その向こう、今まで自分が触れることが出来なかった、
一層濃い闇の向こうに。
時間も空間も無い程のこの場所の中で、
さらに暗黒の重圧を放つ深淵が存在する。
そのことに気付いたのは――割と最近のことだ。
強い紋章の力と、多くの魂達の声と、彼等の存在だけが、自分には見えていたから。
それにさえ、耐え難く感じていたから。
闇から伝わる様々な声は、物理的な重圧で迫って来る。
この場所は、暗く静かな見かけだけでなく、時に酷く熱いものを内包しているのだ。
まとう闇の重さは、押し寄せる痛みと哀しみそのもの。
だが……、立ち止まることはしなかった。
この奥に……向かう為に。
この闇の――中心とも呼べる場所へと向かって。
闇の中を歩くデュオンの手を、誰かが後ろから引き止めた。
デュオンは振り向かない。誰かは解っていた。
「――――テッド」
斜め後ろから、テッドの声がする。
「――行くのか？ 奴の許へ」
止めておけ、と言々た気に、テッドの手はデュオンを掴んだ。
「でも、必要なんだ。〝彼〟の意識に触れて、――協力が得られるなら、『風』を変える力になるかも知れない。
それに――僕は〝彼〟 を一方的に悪いものだとは思っていない」
実際に〝彼〟と呼べる存在なのかは、デュオン自身も知らないのだが。
デュオンは、きっぱりと告げた。
その瞳に、意志を感じさせて。
「――――俺も、行く」
小さく、テッドの声が言った。
「俺は、今までお前を奴に触れさせたくなかった。その意志に触れて、お前を苦しませたくなかった」
覚えのある感覚。
〝彼〟を『邪悪な意志』と呼んでいたテッド。
内を覗いても、中に存在する魂達の存在と、感情しか見えなかった事実。
ソウルイーターの意志に触れられないこと。
「……けど、お前がそう決めたのなら、俺も行く」
「テッド……」
テッドはずっと自分を守っていたのだ。――恐らく、今も。
「アイツの為ってのが気に入らないけどな。行こうぜ、親友」
それは、あの頃のテッドの口調。
「……テッド……ありがとう」
テッドの軽い口調に反して、胸が一杯になる。
テッドの姿が闇の中から出て、隣に並ぶ。
こんな時、思うんだ。
こんな風に、共に歩ける時をきっとずっと待ってた。
二人は同じ速度で、足を踏み出した。
目指す……〝彼〟の許へ。
闇の最奥。漆黒の扉へと手を伸ばし、デュオンは言う。
視線は扉へ向けられたままで。
「僕は、テッドの気持ち、解ってないよな。
今までも、……多分、これから先も、本当には解らないままだと思う」
急なセリフにテッドは疑問符を浮かべる。
「何だよ急に？ ――完全に 解ろうなんて無理だろ？ 別々の存在だからな」
軽めのトーンで返すが、デュオンは真剣な口調なままで、
「――うん、僕は始めに故郷を、傍に在た人を全て失くして、たった一人で、
紋章を守りながら、逃げて、戦って、生き抜いて来るなんて経験、してない。
だから、この紋章と共に在ても、きっと解らないままだと思う。だからこそ、言える言葉だと思う。
〝この紋章を、一方的に悪い物だとは思わない〟」
「…………」
確かに、デュオンならではのセリフだ。
使い手として、その意味を知っていても。
デュオンは、言葉を続ける。
「――昔、リアンに言ったことがある。紋章は、自分達の呪力を超えられる宿主達を待ってるんじゃないかって。
星辰剣を……夜の紋章の化身を見てる所為かも知れないけど。僕は紋章を、徒の道具とか、力とか、思えなかった。
意志を、力を、そして願いさえ持ってるような気がした。そして、ソウルイーターが、その闇を埋めようとする飢えた赤子みたいに思えるんだ。その孤独を、埋めようとしているみたいに」
原始の衝動。人の心の闇を継ぐ存在。だからこそ、共感さえする。
――そう思うのは間違いだろうか。
「――――」
テッドは僅かに目を見張ったまま、デュオンを見る。
デュオンの瞳は怒りも憎しみもなく、徒、かすかな哀しみと、前を向く眼差しとで目の前の扉を見据えていた。
そして、デュオンの腕がその扉を開く。
扉を開け、踏み込むと同時に、底冷えた暗闇がデュオンへと殺到し、触手を伸ばして来た。
「――ッ」
思わずガードの姿勢を取ったまま、暗く冷えた感覚に瞳が見開かれた。
「デュオン！」
テッドの声が……遠く感じる。
――暗い闇が意識を蝕み広がり、暗く冷えた感触が意識を覆う。
意識の底深くまで突き通す、冷たく――痛い程の感触に、意識が揺らぎ、力が抜けて行く。
思わず、膝をつく。
「――おい！」
テッドがその肩を掴み、支えた。
深淵。
自分という存在さえ、足元から崩れて消えて行く感覚。
この意識ごと、全て闇に埋め尽くされて消えそうに感じる。
だが、強く肩を掴む手の感触。
そこから伝わる温もりが、〝自分〟 をつなぎ止める。
闇の鋭い重さが、少しやわらいで感じるから。
デュオンは意識を保ったまま、伝わる闇を、底のない崖から落ちるような孤独の痛みと冷たさを、受け入れた。
「やはり……違う……」
伝わるのは痛い程の孤独。
少なくても、法が支配するモノクロームの世界は、望んではいない。
「――同じ孤独を知る存在が欲しいのか？」
闇を埋める存在を。
「君が法の支配するモノクロームの世界を望まないなら……共に歩むことを望めるなら、一緒に行こう……我が、半身」
デュオンが眼を閉ざしたまま言葉を紡いだ時、デュオンの背からすり抜けるように黒い闇が抜け出し、 テッドを掠め、後方へと過（よぎ）った。
「！」
その鋭い闇の感覚に、テッドはゾクリと肩を震わせた。
閽（くら）い闇が影の様に人の形を成した。
闇色の影が揺らいで、顔は見えない。
――闇を響く声が届いた。
「お前がこの闇を満たすと言うのか？」
デュオンは背後に抜けたソウルイーターを追うように視線を巡らせると、
その人影に向けて手を差し出した。
「多分僕だけでは不足だ。ここに在る皆もきっと力を貸してくれる……
――結局、自分を満たせるのは、自分だけなのかも知れない。だけど、僕達の存在には意味がある。
傍に在る存在、掛け値無しの眼差しが、どれだけ力をくれるか――そのことを、痛い程知ってる」
かすかに言葉を切って、続ける。
「どんなに無力だとしても、人は、意味の無い存在なんかじゃない。
だけど、その〝意味〟が、その人を苦しめるものだとしたら、僕はもう、そんなものは見たくないんだ。
僕は、君や風の意味を変えてみたい。そして、風の所持者とサシで向き合ってみたいんだ。
主従とか、獲物とかじゃ無く、向き合う存在として、力を貸してくれないか――光と闇の紋章」
瞬間、ソウルイーターから闇の飛礫が放たれ、デュオンはとっさに手にした棍でそれを往なしていた。
「――！」
「――いいだろう。魂の無い世界を拒否すると言うのなら、俺の力を貸そう」
満足気に気配を緩め、彼は告げた。
闇の影から、デュオン達の外見よりも少しだけ年上に見える青年の顔が覗く。
「ああ、よろしく」
そして両者は、改めて握手を交わした。
その時……
ふと、何かが聞こえて、全員が顔を上げた。
「――？」
遠く、意識的に上の方向から、声が降って来ている。
『……さん……デュオンさん……！』
呼んでいる。
「……リアン？」
「お迎えだな、――行けよ。途中まで送ってやる」
テッドが笑って言う。
「テッド……――君のおかげで、少し、闇が温かく感じた。――約束、忘れないでくれよ」
「――ああ」