（P２１)
設定破り目次へ 小説目次へ 前のページへ トップページへ戻る
Ｓｉｄｅ Ｂ 二十九
…………ク……ルック……ッ。
声が聞こえる。遠くから。かすかに。
その名が単に〝紋章の器〟を示す記号だと思ったのはいつだっただろう？
全てガラスケースの向こう側で起こることのようで、何も感じず、遠い。
まるで、水を通すように。
それは僕が人でないからだろうか。
この場所は誰も、何一つ赦さないから。何一つ届かない。
――ルック――。
〝これ〟は人の持つ罪の形。
魂など……存在するかも解らない、不確かなモノ。
――ルック……！
……？
誰だ？
誰を呼んでる？
……聞こえないよ。
存在に……魂に絡み付くようなこの風が阻む限り、僕は何も許さないから。
ここには何一つ届かない。無駄なのに。何故呼ぶ？
――ルック――。
呼ぶな。
僕は……。
『人でないから、来ないで』
近付く何かに向かって、風の刃が、圧力が襲う。
だが、それは近付いて来た。
緑のバンダナに赤い衣の人影。
再び風の渦が彼を襲う。
たまらず吹き飛んだその顔は、何故か動揺を誘う。
……誰。
君は、誰だ？
「ルック……！」
その声は必死で、諦めることを知らない。
一歩ずつ近付いて来るその姿に、思わず半歩だけ後ずさる。
来ては駄目だ。
君はこちらに来ることは出来ない。
来て欲しくない。
これ以上、何も見たくなんかない。
不可視の衝撃が再び彼を襲う。
だが、その瞬間に彼の手は、そっと僕に届いていた。
そして、彼は笑った。
傷と血に塗れたまま。
ホッとした笑みを見せた。
そして不可思議な言葉を告げる。
「……お帰り、ルック……」
何故かその言葉は衝撃を呼んだ。
「……！？ ……何で……誰――？」
彼は一瞬驚くように眼を開いた。
「……デュオン、だ」
短く、告げた。
「――力が欲しい？ それとも永遠？」
彼に告げる。
「――要らない」
僅かに伏せた、閽（くら）い瞳。
「だったら、何で……！」
ここに来るんだ？
誰も、紋章以外の価値を求めない。なのに。
「――君に、話しに」
「……！？」
怪訝な顔をする僕を知ってか知らずか、彼は言葉を紡ぎ始める。
「僕は、風を……紋章を悪い物だと思ったことはなかった。でもそれは、君が持っていたからだ。
君にとって、紋章が『呪い』の意味を持つなんて、気付かなくて。……ずっと」
その瞳は僅かにためらいに似た何かを見せる。
「……僕は徒の〝器〟に過ぎない」
彼は視線の高さを合わせ、正面から見据えた。
「だったら、どうして君はここに在る？」
「……」
「〝紋章の意志〟とは違う、『君』がここに在る。何故だ？」
――知らない。そんなこと。
僕が知りたい位だ。
「……皆、紋章の魔力が欲しいんだ。それ以外の価値はないんだ」
僕が僕である意味もない。
なのに何故、ここに在るのだろう？
「宿せるなら、操れるなら、僕でなくてもいい」
「違う」
僅かに低い声が届く。
「ササライでは駄目だ。――少なくても僕には」
――――ササライ？
「他の誰が何を君に望もうと、『君』は、『君』だ。生まれた以上、その人生は、その人自身の物だよ」
「――生まれた？」
「そうだ。紋章の意志を吹っ飛ばしても、君の意志はここに在る。君と、紋章は、別々の存在だ。
〝風〟が君を苦しめるなら、僕は、なくていい。――傍に在たのは『君』だ。紋章じゃない」
「……何でそんなこと」
僕に言うんだ？
「……君はいつだって、僕に出来ないことをやっていた。言動共に。僕はそれが何故か嬉しかったんだ」
彼は嬉しそうに微笑む。
その表情。どこかで見た気がする。
彼は告げる。
「僕にとって君は……かつて選べなかった、もう一人の自分。だから、見捨てないよ。――絶対」
「……！」
その瞬間、何かが砕けた。
Ｓｉｄｅ Ｂ 三十
パキィ…………ン！
瞬間、澄んだ響きと共に、暗い空間が砕けた。
そして――。
「……それが、君の『答え』なんだね」
闇が砕け、僅かに霧煙る白い空間に。
十五年前の姿のままの、彼がこちらを見ていた。
白と緑を基調とした魔術師の法衣に、今より少し長い髪がさらっと揺れる。
彼の言葉にうなずく。
「ああ。……遅くなった。君が望む答えではないと思っていたんだ」
「――そうだね」
「僕がテッドに向けていた友情（もの）の方が良かった？」
「――もういいよ。僕は偽りは要らないし、〝十五年を無為に過ごされる〟よりは、マシだよ」
――十五年、か。
「――――ルック」
ヒタ、と見据える。
「……本当は、ササライが良かった？ 唯一同じ立場を分け合える、理解出来る筈の君の〝兄さん〟 に。
来て、欲しかったか？」
「…………」
僅かに表情が動く。図星、か。――多分。
「――君は、そう思って何故、親友殿を巻き込んだ？」
鋭い眼差し。語調がきつく変わる。
「それは――僕には解らない部分も、テッドなら解ると思ったんだ。――ルックの気持ち」
「…………」
ルックは眉を寄せたまま。
「なら、何故その右手を使わない？」
「え？ ……使ったろ、派手に」
意味が解らず問い返すと、彼は首を横に振る。
「そうじゃない。〝僕〟の〝魂〟の有無を証明する為にだ」
――そういう意味か。
「僕は、僕として君に向き合いたかった。――紋章より、近く。紋章がこうだから、なんて言いたくない。
……紋章の証明が欲しいのか？」
「……多分、どちらでも――――」
ルックは自分の内面を覗くように、眼を伏せ気味につぶやく。
「徒、君のやり方は回りくどいように思っただけだ」
「……なあ、ルック。目的ではなくても、世界ではなくても、僕達は互いを支える力になれないかな？
――君は確かに僕を止めたんだ」
「何の話」
少し眉を寄せて目を細める。
「――テッドを失くした時。……君の望む形ではなかったと思うよ、多分。でも、君が僕の望みを知っていたから。
僕はギリギリで僕のままだった。――僕には、それで良かった」
「……」
「――人で、なくていいと、思ったんだ。戦うしか意味がないのなら。
あの頃は、まるで世界が水の膜を通したみたいで、何もかも遠くて、触れても現実感が無くて。
……辛い筈なのに、それさえ……」
「――何で、君が……」
「え？」
「…………」
ルックは辛そうに押し黙る。
「……辛いと、そうなるんだと思う。多分。知覚、感覚レベルを落として、自分を守ろうとする」
何も感じなければいいと。
辛いだけなら。
胸の奥が苦しくても。〝自分〟を……偽っても。
「――――」
「人は――辛いときっとそうなるよ」
「……人、か……」
「うん」
ふいにルックが訊く。
「デュオン、いつ気付いた？」
「ん？ 何に」
「僕が、ササライに――――何を見ていたか」
それは――。
「……今回、君が動いてからだよ。――昔は、君がハルモニアやササライへの復讐で動くなら、勝つのは君だと思ってた、……でも、違うんだな」
「…………」
「代わりは出来なくても、力にはなれると思うから。君が迷う気持ちがあるなら、何度でも向き合うし、手を伸ばす」
（本当、君が――）
ルックが溜め息をつく。
「僕にとって君が、もう一人の自分ではなくても……か？」
互いに認識する形は違うし、すれ違う。それは少し辛い事実だ。
「……そうだね、――それでも」
「……そう」
ルックは白い上空を見上げる。
「……世界は僕を許さないだろうな」
「ルックが言う〝世界〟って、何だ？」
「？」
「――僕にとって、〝世界〟は、たった一人の人だった。君にとって、〝世界〟は――」
ルックは奇妙に冷めた眼差しを見せる。
「――僕の存在を許さない全て。それが、『世界』」
「…………」
〝世界の始まり〟が辛いという感覚は、僕には解らない。
〝自分〟と〝世界〟に対する基本的な認識。
僕は〝世界〟に、『誰も僕を嫌っていない気がする』なんて、馬鹿（まほう）みたいな気持ちをもらっているから。
だから、安易に言ってはいけないんだ。わかりたい、なんて。
僕のは、元から持っていた物を失くした痛み。
〝手に入れられなかった〟痛みじゃない。
だから――――だけど。
「――――ルック、一つ、聞いてみていいか？」
僕もどこか揺れる眼差しで上を見上げる。
「……………………〝生きて欲しい〟……そう望む気持ちは、どこへ向かえばいい――――？」
「………………」
ルックは僅かに眉をひそめたままでこっちを見ている。
「酷なことを、願うのだと思う。辛いことは沢山あるし、死んだ方が楽だって思うようなことも。
でも……だけど、生きて、楽しいって、思って欲しいと思う。〝死〟に救いを求めて欲しくない。
……どうして、だろう。僕は……どちらかが犠牲を払うのではなく、共に臨む未来が欲しい」
「……デュオン」
それは、ルックのみに向けられた言葉ではなかった。
（……そう、そして、誰も君の願いを叶えなかった。僕はそれを知ってる）
「……ルック、僕だけじゃないんだ。――リアン達だけでもない。君と共に戦ったみんな、君のこと案じてる。
――僕達はその意志を継いで来たんだ。
僕は君に、生きて救われて欲しい。例え君がそれを望まなくても」
「…………」
かつて、互いに犠牲を払わなくても一緒に在られると思っていた。多くの仲間が消えてしまっても。
ルックが見せる世界は、他の誰とも違った。
だから、僕は――彼にだけは犠牲は払って欲しくなかった。
――例え、味方を蹴散らしてでも、偉そうに笑って欲しかった。
――それをフォローするのは僕達の役目だけれど。……サスケ達が聞いたら怒るな……きっと。
ふいにルックが口を開く。
「僕は、自分を消したかった」
ルックの言葉に返せる言葉はない。
徒、眼差しを受け止める。
「目の前から、色彩が消えて行く。――――自分でさえ、在られない。――だから全て消そうと思った」
（せめて、君達の世界が回り続けるならと思っていた。宿星を敵に回しても）
「でも、君は、――不幸なのかな」
「――ああ。君の在ない未来で、僕達は笑えない」
「……そう、――だから来たのか」
少し厳しいような、困った眼差し。
――だが、ほんの僅かに微笑んだ気がした。
急速に、世界が白に染まって行く。自分たちの姿も。
「……時間だ」
そう言って振り仰いだ姿が、短い髪の現在の姿に変わってゆくのがかすかに見えた――――。