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Ｓｉｄｅ Ｂ 二十
現実世界で眼を開いたテッドは、机の上に置かれた〝器〟を手にする。
「これがそうか」
隣に置かれた資料にざっと眼を通した後、じっと正面から器を見据える。
「あいつも、苦労したんだな」
だが、自分を紋章の器だと感じるのは、決して生まれだけの所為ではない。
俺は、それを良く知ってる。
化け物だとか、紋章の器だとか、散々思った。
存在を許されない存在。
呪われる存在。
世界に否定され、決して受け入れられない。
哀しい程、醜悪で、惨めで。
だけど……それでも。
紋章を宿していることも含めて、俺自身の存在を望む存在がいると、そう感じた時、俺は俺でいられた。
いや……戻れた と言うべきだろうか。
呪いも怒りも憎しみも弱さも。
こいつを遠ざけることは出来ない。
そう感じたんだ。
永い間、何もかもが遠くて。
全てを利用して、何もかも敵と思っていた。
デュオンさえも犠牲にするつもりで。
それなのに、あの場所は暖かくて、俺は少しずつ人に戻っていったんだ。
いつしか、秘密を打ち明けてもいいと思う程に。
あの場所は確かに、俺の還る場所だった。
人が、人で在られるには、条件が在るんだ。
紋章とか、永遠とか、きっとそれ以上に。
どんな俺も、受け入れてくれると、そう感じられる場所が。必要だと思う。
心を閉じたまま、〝自分〟を否定して、
己の存在に絶望を抱えたままで、それを感じるのは、酷く難しいことだけど。
〝世界に拒絶された自分〟を抱える存在が自分を許せる為には、切っ掛けが要るんだ。
どんな俺でも壊れない、絶対的な安定感が。
でなければきっと、何でもしてしまうだろう。
本来の自分、その本音を否定したまま、自分を肯定する為に。
「なぁ、人が人で在る為には、何が重要だと思う？」
傍に在る刃と盾の継承者に訊いてみる。
「え？」
「食う物があって、着る物があって、住む場所があれば、〝幸せ〟だと思うか？」
「それは……」
二人は違和感を感じて彼を見詰める。
「俺は、足りないと思う」
きっと、〝心〟が。
飢えて渇いて人でいられない
自分を許す存在が、必要なんだ。
「〝こいつ〟にも、きっとそれが必要なんだ」
器を軽く掲げる。
魔術師の塔で見た魔法使いは、唯の子供に見えた。多分、生まれ以外、何も変わらない。
その、心も。
「あの魔法使いは――どこか人として違っていたか？」
そう問うと、違う場所から声が響いた。
『違わない』
紋章の内側から聞こえたその声に、盾の継承者が反応した。
「！ デュオンさん……じゃあ、やっぱりこの人……誰……？」
語調も表情も、異なる存在。
「デュオン、俺がこいつと同じ生まれになったら、嫌か？」
空間に、声が響く。
『テッドは黙って無理するから、心配だよ。
ルックには無理や誤魔化しは通用しないし、辛い時、言ってくれるなら、考えるけど』
「……」
軽い沈黙が落ちた。
『難しいのは解るけどさ……そんなに頼れないか？』
デュオンは言葉を重ねる。
「……別に、信用してない訳じゃない」
『……』
今度はデュオンが沈黙する。
ふいに、横から声がかかった。
「あの……あなたはもしかして」
その二人に逆に笑いかける。
「なぁ、あんたら、どう思う？ この存在、〝ハルモニアの秘法〟をさ」
「え……」
その正体にとまどうように、二人は一瞬、目を見合わせたけれど。
刃の継承者が、静かな声で答える。
「……高度な技術だと思います。
ですが、ハルモニアの意図がどうであれ、その為に〝命〟を〝器〟として扱うのは……悪趣味かと」
その言葉に続けて、盾の継承者が答える。
「僕は――これ自体は何とも……でも、ルックはルックだと思う。〝器〟なんかじゃない。
そんなこと言う人がいるんだとしたら……酷いよね」
二人に向かって告げる。
「それなら俺が、この技術でこの世に戻りたいって言ったら、手伝ってくれるか？」
「え！？」
『テッド……！』
デュオンが咎めるような声で呼んだ。
「……意味、解ってますよね……」
真意を探るようにジョウイが訊く。
「ああ、俺は元から〝真〟持ちだったし、不都合はないだろ」
「わざわざ〝この技術〟を使おうとする理由は何ですか？」
この人達なら、他の方法が無いとは思えない。
「この存在の持つ意味を変えたい。俺のも、あいつのも」
『本当に、それだけか？』
デュオンの声が言う。
『テッド……何か隠してないか？』
「何をだよ？」
『それが解らないから、訊いてる』
「そうなんですか、テッドさん」
リアンの眼が真っ直ぐにテッドを覗き込んで、テッドは僅かに身を引いた。
「……すげえ真っ直ぐな眼ェしてるな、お前」
何だか出会った頃のデュオンを思い出す。
少し、苦手だ。悪い意味ではないけれど。
『……リアンだから。で、どうなんだ？ テッド？』
外と中からの眼差し。
「～～～～別に大した事考えてねーって。唯、器使えば、紋章の負担も減らせ……」
『テッド――――ッ！！ そんな理由なら先に言えっ！！』
大音響が響き渡った。
『何か引っかかると思ったけど……まさか、それが理由か！！』
「うわ、落ち着けデュオン！」
テッドが慌てて右手を押さえる。
見かけがデュオンの為、何だか妙な光景だ。
「別に嘘ついてないからな！？ 今までの理由も本当だぞ！」
『解ってる！ けど、そーゆーのが心配なんだ！ 戻さないぞ！？』
「うﾞ……悪かったよ、俺もこーゆーの慣れねーから……気ぃ付けるって！」
『僕に関することを一人で背負うなよ、テッド』
僅かに呆れと、諭しと、心配と。そんな口調で。
『徒でさえルックは僕達のことを知ってる。それだと心配だ』
「心配って何がだよ」
『ルックは、僕が、君を失くして、一番ヤバかった頃を知ってるんだ』
「！」
テッドの顔色が変わった。
『向き合えるか？ 揺らがずに』
「――恨んでないか？」
テッドが視線を落として言う。
『別に、恨んでいない。それに、恨んでも怒っても、それ以上に消えない物があると、俺は思ってる。
――テッドだって何も知らずに勝手ばかり言ってた俺のこと、憎らしく思ったことだってあったんじゃないのか？』
後半の言葉は、僅かにからかうような明るさを帯びていた。
「……」
テッドは少し困った風に息をつく。
「……ま、昔はちょっとな」
『あﾞ、やっぱり。……それでも託してくれたこと、俺は嬉しかったよ』
「……敵わねーな、全く」
くしゃりと髪をかき上げる。
ふいに、大人びていた視線に、どこか子供のような光彩が揺れて見えた。
「一緒に背負ってくれるか？ ――俺はこのやり方を選びたい。紋章のことがなくても」
――深みを帯びた声が応える。
『テッド、前を向いて生きられるか？』
「ああ。必ず」
『解った、一緒に背負うよ』
「――間違っていても、ですか？」
ふいにジョウイが問いかけると、デュオンの声が僅かに大人びた柔らかみを帯びた。
『そうだね、この際、これ以上死人が出ないなら、僕は間違っていてもいい』
「…………」
黙り込むジョウイに、リアンが口を開く。
「デュオンさん、この技術はそんなにいけないことなんですか？
これがあったから、ルックと在られたのも本当でしょう？」
リアンの言葉に、デュオンの声が僅かに重さを増した。
『そうだな。だが、これから望むことは、本来あり得ない筈のことだ。その覚悟はしなければならない。
……専門の魔導師でない分、リスクはあるしな』
「だったら、僕も背負います。あなたに叶えて欲しい」
『リアン……いいのか？ 本当は、僕だけが取り戻していい筈はないんだ。
君は、もし、ジョウイやナナミを失くして、その魂を僕がさらっていても同じことが言える？』
「デュオンさん……」
リアンは驚いたように眼を見開いた。
それは、考えたくない。想像するだけで、目の前が暗くなる程、辛くて哀しいこと。
だけど、それでも。
「それでも……僕はデュオンさんの不幸は望まない。それがあなたの為なら、僕は望みます。
――――駄目ですか？」
『いや、逆の立場で君達の不幸を望めない。――解ってはいたんだ。
済まない、――ありがとう』
「いいえ。頑張りましょう」
『そうだな』
テッドが僅かに複雑そうな眼差しを振り切る様に顔を上げ、ジョウイを見た。
「……んで、そっちはどうする？」
「そうですね、技術使用に関しては多少承服しかねる部分もあるのですが。
――これ以上死人を出さないと言いましたね。それが可能なら、あなたがたに付き合いましょう。
但し、あくまで、大陸の為に」
「ふ……ん、ま、いいけどな。お前、損するタイプじゃないか？」
「どういう意味です」
「堅苦しく考えてドツボにはまりそうだからな」
デュオンがいさめる様に言う。
『こらテッド。――ジョウイに損な役なんてして欲しくないよ。何んな結果でも恨みっこなしだけれど。
正しくても、悲しい結末は見たくない。それに、僕達だけが〝彼〟 に向き合う勢力ではないしね』
「……」
『一人で背負う必要は、誰しもない筈だよ』
「……ええ、そうかも知れません。 …………」
「まだ何かあんのか？」
テッドの言葉に、ジョウイはさらりと言った。
「いえ、マクドールさんの御友人は思ったより、ぶしつけな方ですね」
「！」
『ぷっ……』
ジョウイの言葉にデュオンが吹き出すのが聞こえた……。