（P３）
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独りで臨む結末 ～願いの選択 ２～
闇が去った時、壁の向こう側には、全く違う景色が広がっていた。
今まで在た、シンダルの遺跡どころか、
閽（くら）い天空と赤茶けた大地だけの――他に何もない――全くの別世界だった。
「さて――〝受け継ぎし光、全てを護る盾の力をここに現わせ〟」
デュオンさんの右手から、再び盾の力が溢れ、今度は僕達全員を包み込んだ。
「その力、もしかして……リアンさんの……？」
そう、十五年前、〝輝く盾の紋章〟を宿していたのは、リアンさんだ。
なぜこの人の――
しかも、別の紋章を宿している筈の〝右手〟から〝盾〟の力が――。
「――訊かないでくれ」
デュオンさんは感情の見えない眼差しで、そう言っただけだった。
まさか……リアンさんに何か……？
先程のルックの言葉といい、何だか気に掛かるけれど。
どこか、考えたくないと思っている自分が存在する。
一体、僕の知らない場所で、この人達に何が起きたのだろう。
「作戦は簡単だ。この壁の中で〝風〟を壊し、僕達は脱出する」
「具体的には？」
ルイさんの言葉に、デュオンさんは微かにうなずき、ルックの前に立つ。
「ルック。――これを」
差し出されたのは、かなり大きな、空（から）の封印球？
それを前にして、ルックが告げる。
「……こんなことしたって、無駄かも知れないよ。特に僕はね」
「『かも知れない』。だがそれは、努力するのを止める言い訳にはならない。
――紋章を外しても、操れるだろう？ 君なら」
デュオンさんの言葉に、ルックの鋭い眼差しが返る。
「――僕を誰だと思っている？ 出来ない程度なら、こんな所に来るまでもないよ」
「……」
二人の纏（まと）う、空気が重苦しい。
「――貸しなよ」
「ああ」
デュオンさんから封印球を受け取り、紋章を外す態勢に入るらしいルックから離れて、デュオンさんがこっちに来た。
「ヒューゴ、一応訊くけど、君は、〝僕達全員〟を連れて戻ることを願えるか？ ――あいつも含めてだ」
デュオンさんが示す先には、ルックが在る。
「何だよ今更。嫌に決まってるだろ」
「そうか」
デュオンさんは微かに笑むように、僕の方に視線を移した。
「では、フッチ、君はどうだ？ 〝僕達全員を連れて帰ること〟を、望むことが出来るか？」
「？ どういうことですか。僕は……」
僅かにとまどうと、デュオンさんが付け足す。
「戻ってからのことは考えなくていい。あくまで元の場所に戻るまでの話だ」
「元の場所に戻るまで……ですか」
その先どうなるのか、今の僕には解らない。
僕は全員の姿を見る。
一緒に来た仲間。デュオンさんにルック。そしてルイさん。
僕は、この人達全員を元の場所に連れて帰ることを――。
「――願えます。僕は」
「そうか。なら、君に僕達全員の命運を預けよう」
「え」
デュオンさんが僕に差し出したのは、闇の色を宿した、手鏡だった。
「これ、〝瞬きの手鏡〟……？ でも色が……」
鏡面の色以外は、〝瞬きの手鏡〟にそっくりだった。
「それは、〝瞬きの手鏡〟に〝闇渡り〟の能力を付加した物だ。使い方は通常の〝瞬きの手鏡〟と同じだ。
――使い方は解るよな？」
「ええ、でもなぜ僕に」
「俺は、ルックの補佐に回るから、紋章を壊した瞬間、多分余力がない。だから君に頼みたい。
紋章を壊した直後、その解放された力が僕達に届く前に、全員を連れて帰って欲しい」
「……」
かなり、いやもの凄く重大で、シビアな役だ。
「合図は出すつもりだけど――タイミングの補佐に関しては――ルイさん、あなたに頼みます。
いざとなったら〝その力〟を使って下さい。時間、かせげますよね？」
「僕の場合、攻撃を盾にする事しか出来ないから、あまり長くは保たないよ。それでもいいなら」
「僕がやるよりマシです。だから頼みます」
「――そうだね、君は彼等を殺したくないんだものね。解った、僕がやるよ」
ルイさんの言葉は、デュオンさんの紋章の事を知っているように聞こえる。
いや、〝あの人〟の知り合いなら、当然知っているのかも知れない。
「――終わったよ」
その時、〝風〟の入った封印球を前にしたルックの声がした。
「ああ、じゃあ、それだけここの中央に残して、全員出よう」
ぞろぞろと、少し離れた場所まで移動する。
その途中で、僕はルイさんに声をかけた。
「ルイさんは――デュオンさんの紋章のこと、知ってるんですね？」
「少しだけね」
「テッドのことも――」
言いかけると、ルイさんはうなずいて。
「うん、あの紋章の力は、テッドくんに見せてもらった。――君もテッドくんを知ってるんだね」
「ほんの、少しだけですけど」
そう言うと、ルイさんは顔を上げた。
「そうか――じゃあ、頑張らないとね」
「え？」
意味が解らず、問い返すと、ルイさんは言った。
「テッドくんの事を覚えてる人って、多分すごく少ないんだ。――僕の大事な人達のこともだけど」
「……」
だから、僕を守りたいと？
「それにデュオンくんも、君を殺したくないみたいだから」
「そうですか？」
「僕がそう思っただけだけどね」
「……」
それが当たっていたら、いいと思った。
ルックが足を止めた場所で、僕達も足を止めた。
ルックとルイさんがほぼ横に並ぶ形で前に立ち、デュオンさんはルックのやや斜め後ろに陣取る。
「皆、僕の前には立たないで、後ろに」
ルイさんの言葉に、僕はルイさんの後方に控える。
僕が失敗したら、全員の命が危ない。気を引き締めなければ。
デュオンさんが肩越しにヒューゴを振り返る。
「ヒューゴ、その右手の紋章を構えておけ。少しは保つ筈だ」
「お前に言われるまでもないよ」
ヒューゴは、ルックと自分達との間に立つ形になっているデュオンさんにいい感情を持てないのか、素っ気なくそう言った。
「ならいい」
――デュオンさんは、別段ヒューゴを敵だと見なしてはいないような気がする。
僕の方も、デュオンさんを敵だと思えていないのだが。
いや、ルックのことでさえ、大陸を護る為に、戦うべき相手だと言う認識はあっても、〝敵〟だと認識するのには抵抗がある。
――デュオンさんも、リアンさんも、昔、多分僕にとってのルックよりもずっと近しい存在と〝敵〟として戦っていたんだ。
どんな気持ちだったのか。僕は未だに想像することさえ難しい。
僕は、前方に立つデュオンさんに視線を移した。
――デュオンさんに関しては、時々見せる、闇のような眼差しが気に掛かるけれど。
だけどそれは、特定の誰かに向かうものではないような気がする。
「始めるぞ」
「はい」
手の中の手鏡を握り直す。
ルックの詠唱に、デュオンさんの言葉が重なる。
前方、盾の結界の中心、集められた魔力が圧縮して光を放つ。
「！！」
瞬間、衝撃とも轟音（ごうおん）ともつかない、膨大なエネルギーが結界を圧迫して溢れた。
「今だ！」
「フッチ！」
音さえも聞こえない程の轟音。
味方の魔力と〝風〟の紋章が吹き荒れる光と影の中で、僕は手鏡を発動した。
「……くっ……」
爆風に似たエネルギーに流された勢いで、地面に投げ出される。
紋章の〝力〟でビリビリする――が、大した傷ではない。
「……ここは……」
顔を上げて確認する。
広間ごと転移させて、向こうに置いて来た所為で、すっかり風通しが良くなってしまっているが……元の場所だ。
儀式の地の……祭壇があった広間跡地、と言ってもいいだろう。
「全員……無事か？」
デュオンさんの声がした。
「……ええ、僕達は何とか」
だが、直接紋章を壊した二人の方が、ダメージは遙かに高いようだ。
酷く……辛そうだ。
「二人とも大丈夫？」
ルイさんが回復魔法を二人に使っている。
あの人の方は大丈夫そうに見える。
デュオンさんが、ゆっくり視線を上げる。
「――済まない、ルイさん。……生きてるか、ルック？」
眉を顰（しか）めた、多少不本意そうな声音が返った。
「――今の、所はね」
「上等だ」
態勢を立て直したらしいデュオンさんが、僕達の前に立った。
「さて――、これで大陸への脅威は消えたし、ルックは目的を果たした。――そうだよな」
「……」
誰も……ルックも、異論は挟まなかった。
「これが〝正しい〟かどうかは兎も角――、僕の〝作戦〟はここまでだ。双方共、協力を感謝する」
一拍置いて、
「で、ここからは……個人的な話になるのだが――ヒューゴ」
「何だよ」
デュオンさんの言葉は、冷静に響く。
「――恨むのも憎むのも、君達の権利だ。それを止める権利などない」
「え？」
ヒューゴが訝し気に顔を向ける。
「だが――」
「――！？」
思わず息を呑んだ。
デュオンさんが――ヒューゴの前に、膝を、ついた……？
「どうか、その刃を振り下ろすことなしに、終わらせてはくれないか？」
デュオンさんの声が静かに響く。
「な――何言ってるんだ……！」
やや慌て気味に、ヒューゴの怒りを含んだ言葉が返る。
「彼の存在を――見逃して欲しい」
「出来る訳ないだろ！」
「デュオン！ 何を言っているんだ」
逆上気味に叫ぶヒューゴと同時に、ルックまでデュオンを止めに入った。
「僕は、比べる事は出来ないんだ」
デュオンさんが、どこか空虚な瞳を上げる。
「もし君が、大陸を守る為に必要で、彼を倒すのだとすれば、僕には止めることが出来ない。
――どちらの味方にもなれない」
「……」
「だが、今――大陸への脅威が去ってもなお、彼を許せない、倒すことが必要だと言うのなら――僕は、君を止めたい。
どうか彼の望む〝死〟を、与えないで欲しい」
立ち上がったデュオンさんの眼差しは、真っ直ぐにヒューゴへと向かう。
「何だって？」
「〝死による救い〟など、僕は認めない。例えこの場に在る誰も、望んでいないのだとしても」
鋭い……闇を含んだ瞳。
「何を――だったら……俺達の気持ちはどうなる！？ 勝手なこと言うな！！」
「……君のように、敵が憎いだけなら……迷わないのかも知れないな……」
デュオンさんの言葉は、どこか柔らさを含んで、苦笑じみた色彩を感じる。
「だが僕は……昔から、敵も味方も、大事な奴ばかりだ」
微かに辛く……眇（すが）められた眼差し。
「なぁルック。――向こう側に立つ気分と言うのは……こういう物なのかな」
「っ！」
ルックの顔色が変わった。
「……ねぇ、ルック？ かつての僕も……あんな風な眼をしていたかな？」
懐かしさと哀しみを含んで、デュオンさんの微かに軽い口調。
「！」
ルックの眼差しはきつく――歪められた。
「……馬鹿を言え、彼等以上だ」
「！ 済まん、変なこと訊いたな」
デュオンさんは素に返ったように謝った。
「嫌なら訊くな。――そこを退け」
ルックが苦々しく切り捨てるように言う。
デュオンさんは、微かに辛そうな顔を見せたけれど、真っ直ぐに視線を上げた。
「――出来ない。……例え、君の刃が僕に向けられようと、ここは退かない」
ルイさんは、様子を覗うように、ルックの方を見詰めていた。
「何で――あんたはそいつをそんなに庇うんだ！？」
ヒューゴの言葉に、デュオンさんは僅かに困った風に眼差しを向ける。
「そうだな……一言で説明するのは難しいが……解らないからと、説明しようともしないのは、怠慢だからな」
どこか意味ありげにつぶやいた後。
一拍分、呼吸を挟んで、告げられたのは。
「僕が一番辛い時、支えてくれた人だからだ」
ストレートに、一言だった。
「……」
デュオンさんが静かに言葉を紡ぐ。
「僕には、国を、家族を敵に回しても、助けたい人が在たんだ。だけど……目の前で失くした。
この手が……殺したも同然だ」
「……」
この、話は――。
「立ち止まったら、戦えなくなりそうで。そんな自分は嫌だったよ。
そんな時、リーダーとか部下とか、そんな物抜きで、こいつだけが踏み込んで来た。僕の本音を見抜いてくれていたんだ。
……だから辛うじて、僕は自分を見捨てずに済んでいた。
こんな奴が在る世界なら未だ悪くないと……そう思ったんだ」
「！」
ほんの瞬間、ルックが『しまった』と言うような表情をしたのを見た。
「君達にとって、最悪な相手……。だが、僕にとっては、一番辛い時、支えてくれた……大事な、仲間なんだ。
――彼が何者だとしても、変わらない。例えこの望みが間違いで、これが許されないのだとしても――」
「……っ！？」
逆光に照らされて、デュオンさんの眼の縁が僅かに光って――泣き濡れて見えて。
見間違いかと、見直すより前に、デュオンさんは頭を垂れた。
「許せとは言わない。どうか、大陸への脅威が去った事に免じ、彼の命、見逃してはくれないだろうか」
「……っ」
ヒューゴは、唇を噛み締めて押し黙った後。
「――――出来ない」
そう、答えた。
「……そうか」
デュオンさんは哀しそうに、だが納得したように応える。
ヒューゴは畳み掛けるように続ける。
「俺自身だってそいつを許せない。恨みとか復讐とか、そんな感情で動くのは、英雄の名に相応しくないかも知れない。
だけど、例えそれを抜きにしたとしても！
そいつのやったことは見逃していいことじゃない！」
「……最もな話だな。だが俺は、犠牲を払った事よりも、犠牲を払ってもなお、願いを叶えられなかった事の方を酷く後悔したんだよ。
だから――」
デュオンさんの瞳が――鋭く変わる。
閽（くら）い闇を宿す――死神の眼差し。
「彼を殺すと言うなら……敵だ」