お約束。～過去？～
僕が食堂で暇を潰していると、フッチが現れた。軽く手を振って場所を知らせる。
「やぁフッチ、ルックとは話せた？」
「うん、少し……」
フッチの表情はあまり芳しくない。
「ふぅん、どうだった？ ――実はアバラ折れてたりしなかったか？」
言葉の後半はちょっとばかり声をひそめた。
「それは、多分大丈夫。リアンさんに大分念押されてたから」
「そう」
フッチは僕の前に座ると、ちょっとだけうつむいた。
「あのさ、デュオンは、昔のこと、気になる？」
「？ フッチは昔の僕、知ってるんだっけ」
そう訊くと、フッチは僅かに下がり気味のテンションのままで。
「僕は前の戦いは途中参加だったから、そうでもない」
「そうなんだ」
「思い出せる、出せないは別にして、それが辛い事実だったとしても、知りたいと思う？ 今のデュオンはさ」
「……」
フッチは、何を指して言っているのだろう？
――フリックは僕が苦労していた頃のことは、あまり言いたくないと言っていた。
「前の僕って、そんなに不幸そうだった訳？」
「それは……僕には解らない。
確かに大変な立場だったと思うけど……僕はそれ以上に」
フッチは一度言葉を切って、僕を見た。
「昔のデュオンの事、すごいと思ってた」
「へぇ……」
初めて聞く言葉に、二、三度瞬いた。
「で、今のことなんだけど。辛い事実があるとしたら、知りたいと思う？」
「うーん……そうだな。確かに解らないことは多いし……気にならないと言ったら嘘だろうけど。
その辛い事実って、例えばどんな感じ？」
「う、例えば……」
フッチはちょっと詰まった後。
「僕は、元竜騎士見習いでさ。前の戦いの時、騎竜のブラックを……なくしてるんだ」
「え」
フッチの表情は、今まで見た中で、一番辛そうだった。言葉にならない悔しさや哀しみが滲んで、テーブルの上で組まれた手が僅かに震えている。フッチはそれでも言葉を続けた。
「例えば僕が、その事も全部忘れてここにいたとしたら、思い出したいかどうか……って。そんな感じ」
「フッチ……」
「どうかな」
「それは……多分思い出したいよ。思い出すことがあること自体、忘れてても……きっと」
そう言えば。
「部屋に鍵のかかった引き出しがあったんだ。後、肖像画が」
テーブルから立ち上がる。
「え？」
「……調べてみよう、昔のこと」
さくさくと歩き出す。
「リアンに挨拶しないとな。どこだっけ、部屋」
「上だよ。……あのさ、デュオン」
フッチがどこかためらいがちに声をかけた。
「ん？」
フッチは少しだけ迷ったようだったけど。
「――リアンさんがいいって言ったら……。僕も行っていいかな」
「そりゃ勿論、僕は構わないよ」
「ありがとう」
リアンにフッチの外泊許可をもらって、マクドール邸に帰って来た。
「坊ちゃん、お帰りなさい……！ おや、フッチ君もご一緒ですね。ごゆっくりどうぞ、すぐにお茶お持ちしますね」
やっぱり飛び出して来たけれど、グレミオも少しは落ち着いているようだった。
ま、流石に毎回最初みたいな調子だと困るけど。
「お帰りなさい」
「あ、クレオ。僕の部屋に、鍵のかかった引き出しがあったけどさ、あの鍵って僕が持ってたのかな？」
そう訊いてみると、クレオは軽くうなずいた。
「鍵ですか？ ええ、坊ちゃんが持っていました。――見付からないんですか？」
「これから探そうと思って」
「そうですか、もしどうしても見付からなかったら、言って下さい」
「解った、ありがとう」
フッチと二人で自室に入ると、もう一度引き出しに手をかけてみる。
がち、と鍵の手応え。
「で、僕がどこに鍵を置くか……フッチは解るか？」
そう振ると、フッチは顎に手を当てて考え込む。
「うーん……目に付く所にはなかったんだ？」
「ざっと見た分には見当たらないな」
「〝デュオンさん〟……昔のデュオンは、そういうこと人に言わなかったと思う」
「そっか。……じゃあさ、この肖像画のことは知ってる？ 何だかこの家の人には訊き辛くてさ」
記憶がないってこと、随分気にしてるみたいだったし。本来なら当然知っていたような事柄を訊ねる度に、ちょっと複雑そうな瞳になる。
だから、他の人に訊いて解ることなら、そうしようと思っていた。
「……」
フッチは微かに視線を落とした。
「フッチ？」
「……誰が描いて、誰が飾ったかは知らないけど、あの戦いの後に飾られた物だと思う」
「……」
僕は黙って先を促した。
「僕が言っていいのか解らないけど……。これは、〝デュオンさん〟の友達で、〝テッド〟って人だ」
……テッド。
改めて肖像画を眺めてみる。だが、やはり何も思い出せない。
「薄情にも、忘れてるんだな」
ちょっと呆れ口調になった。
「……」
フッチはため息に近い、微かな音と共に目を伏せた。
「よし」
手を伸ばし、壁から額を外して、裏返す。額の裏には特に何も書かれていなかった。そのまま、額から肖像画を取り出そうとして――。
何かが滑り落ち、軽い金属の音がした。
「あ、鍵！」
「引き出しの？」
「多分」
昔の自分が隠した鍵がある肖像画。
それは自分にとって、大事な物である証拠のような気がした。
「――開けてみよう」
鍵を差し込んでみると、鍵はぴったりと鍵穴に収まった。
引き出しを開けると、中には――。
「ノート……いや、日記か、これ」
シンプルな装丁のそれを、ぱらぱらとめくる。何て言うか、簡潔な文章で、事務的な事柄が連ねてある。内容からして、革命中における事務記録って感じだ。
「真面目だなー、作業記録みたいだ」
前の僕と今の僕。微妙にキャラが違う気がするのは気のせいだろうか。
「ん、引き出しの奥に未だあるな」
もう一冊、奥から取り出す。
それはシンプルながら、濃い色の日記帳だった。
開いてみる。
【――今日はテッドを秘密の場所に招待した。あの場所からの景色は最高なんだ。テッドは夕日の赤い色は好きじゃないって言うけど、僕は、明日に続いていく感じがして、色んな色に変わっていくあの景色は綺麗だと思う。夕日に輝いて、グレッグミンスターが黄金色に見える時間は――】
「！！」
さっきのノートとは全く違った。何だか、今の僕が見てはいけない物のような気がして。僕はそれ以上読めずに、日記帳を閉じた。
「デュオン？」
日記帳を握ったままの僕に、フッチが声をかけた。
「どうしたんだ？」
――忘れていることが、きっと山程あるんだ。
「フッチ、僕、思い出さなきゃいけない気がする」
「デュオン……」
「何だか別人みたいだ」
「――僕には、同じに見えるよ」
フッチはやや固い表情で言った。
「だから、今の君に言ってもいいんじゃないかと、思うんだ。今のデュオンが望むなら」
「フッチ？」
「今の君にとって、辛い事実があるとしても、デュオンは知りたいと思う？」
「今の僕にとって？ 昔のことじゃなくて、か」
フッチはうなずく。
「うん、今のことでだ」
「……何か、あるのか」
「……」
フッチは複雑そうな表情をして、うつむいた。
何となく、周りの人間の態度がぎこちないのは、僕が記憶をなくしたからだと思ってた。僕の過去のことで、話し難い事柄があるせいだと。
でも今の僕にも、それがあるのか？
――そう言えば、前の僕と仲が良かったとか言う魔法使いは、〝今の僕を殺す〟って言ってたな。今の僕に、僕の知らない何かがある？
「あるんだな。――教えてくれ」
「……」
フッチは、自分から言い出した割には、言い難そうに、眉をしかめて言い淀んだ。
「もうこの際構わないよ。フッチにそんな顔して欲しくない」
「デュオン――」
フッチは覚悟を秘めた眼を上げた。
「デュオン、お前の右手にある紋章だけど」
「ああ、リアンは自分と同じように特殊な紋章だとか言ってたけど」
「それは、二十七の真の紋章の一つで、強大な力を秘めてるらしいんだ。
――生と死を司る紋章。通称ソウルイーター」
「ソウルイーター？」
フッチの説明は続く。
「宿主の身近な者の魂を取り込む、呪われた紋章なんだって。
それで――このままだと、次に死ぬのは僕だって、ルックに言われたんだ」
「！！ 何だって！？」
僕は驚いて右手に視線を落とした。
「ルックはああいう性格だけど、仕事はちゃんとやる人なんだ。リーダーにまで意見してる以上、多分本当だと思う」
だからルックは、僕をあの城に置くのを反対だと言っていたのか？
「大変だ……リアンは知ってるのか？」
「その紋章のこと自体は知ってた。
だけど、今のデュオンが紋章の制御がきかない――そこまで危険な状態だってことは、きっとリーダーは気付いていない。
――多分、ルックだから気付いたんだ。魔法の実力は一流だから」
「……対処法は？」
そう訊くと、フッチは首を振って。
「僕は解らない。魔法は詳しくないし……。
徒、前のデュオンは制御出来てたってことだよね。僕は知らなかったけど」
「そうなるかな」
「記憶を戻すか、僕達から離れるか、今のままでも制御出来る方法を探すか」
「……とにかく、明日ルックに訊いてみよう。――そんな重大なこと、言ってくれりゃ良かったのに」
その言葉にフッチも同意した。
「あ、それ僕も気になってたんだ。何でルックが理由を言わなかったのか」
「何でだ？ 今の僕とは話したくもないからか」
フッチは少し考えた後。
「……違うと思う。デュオンだけじゃなく、リーダーにも言わなかったみたいだし」
「リアンが僕を引き留めてたから言い難かったとか――」
我ながらちょっと苦しいかな。
「そんな事、気にするかなぁ、あいつ」
「しなさそうか、やっぱり」
「ルックは結構毒舌だからさ。リアンさん相手でも事実なら言いそうなんだけど」
「解らないなぁ、あいつ」
そう言うと、フッチもうなずいた。
「確かに……」
肖像画は元通りに額に入れて壁に戻した。
グレミオにお茶の追加を部屋に頼んで、一息。ふわりとお茶の香りが広がる。
「フッチはさ、僕のこと、怖いか？」
僕のせいで〝死ぬ〟なんて言われて。
そう言うと、フッチはちょっと困ったように眉根を寄せた。
「あー、デュオンがって言うより、その紋章が……少し怖い、かな」
「そっか」
「前に何度か使ってるの見たけど……、凄い力だったから」
「そっか……」
そんなにすごい紋章だったのか。
「あまり実感ないんだけどね、ルックに言われたこと」
「……」
「でも僕、デュオンとこんな風に話せたのは、良かったと思う」
フッチの表情は、案外明るかった。
「え？」
「あの頃はお互い大変だったし、デュオンはリーダーだったし。こんな風に話せる機会、ほとんどないままだったからさ」
「そうなんだ」
確かに業務日誌の頃の自分は固そうだった。
その時、部屋の扉から軽いノックの音がした。
「坊ちゃん、フッチ君、夕食の準備が出来てますよ～」
グレミオの声だった。
「解った、今行く」
部屋を出る時、扉から肖像画を振り返った。
……テッド。
……見覚えがない、知っている筈の笑顔。
――覚えていないことを、少しだけ、寂しく感じた。