お約束。～知ってる人の眼差し？～
診察の結果は……一言で言うと、〝異常なし〟だった。
「やはり、身体の方は問題ありませんね」
ホウアン先生の言葉に、マクドールさんもやはりと言った様子でうなずいた。
「ああ、倒れた時に頭でも打っていない限り、問題はないだろうな」
「あの、どういうことなんですか？ 僕にはさっぱり……」
そう言うと、マクドールさんはホウアン先生を見遣って。
「――説明は？」
と訊いた。
「未だこれからです」
「そうか」
その答えに、マクドールさんは軽くうなずくと、僕に向き直った。
「リアン、君は今、記憶がないよな」
「はい」
「それは、今日森の中で、正体不明の発光体に接触してからなんだ」
「発光体って……？」
「淡くて白い、光の塊のように見えた。
詳しい正体については現在調査中だが、少なくとも通常の魔法ではないようだ。
君も、そして数日前の僕も、そいつに記憶を〝抜き取られた〟らしいんだ」
「記憶を……抜き取る？」
「あぁ」
マクドールさんは軽くうなずく。
「どうしてそんなこと……する必要あるんですか？ って言うかその前に。出来るんですか？ そんなこと」
僕には良く解らない。
「その辺りも現在調査中。でも実際、記憶が消えてることだけは事実だから。――何か解れば伝えるよ」
「あの、マクドールさん」
呼びかけると、彼は少し困ったように。
「ん……出来れば名前の方で呼んでくれるかな。家名は少し、堅苦しくてね。
――前の君には〝デュオンさん〟て呼ばれてたし」
「じゃあ……〝デュオンさん〟でいいですか？」
「あぁ」
デュオンさんがうなずくのを見て、改めて質問する。
「デュオンさんは今……記憶はあるんですか？」
「ああ、今はあるよ。君の記憶がなくなるのと同じタイミングで、戻ってるんだ」
「それって、何か関係あるんですか？」
同じタイミングで、記憶が消えたり戻ったりするものなのだろうか。
「その辺りも、未だはっきりとは言えないんだが……絶対に戻らない類のものでもないらしいね。
君も最初はとまどうと思うけど、あまり重く考えない方がいいよ。
この城の人間は皆、基本的に君の味方だから」
「はい……あの、〝城〟って、ここは一体……？」
辺りを見回しながらそう訊くと、デュオンさんは少し考えるように顎に手をやった。
「うん……これは僕が話しても良いのか解らないな。僕は一応、ここの客分でね。
――実際には単に君の個人的な知り合いとして来てるだけなんだけど。
やっぱり、この城の人間に言って貰った方が良いかな。――ホウアン殿？」
デュオンさんが話を振ると。
「私も一介の医師なのですが……患者への状況説明は医者の仕事ですね。
では、リアンさん、宜しいですか？」
ホウアン先生が進み出た。
「はい」
背筋を伸ばして、ホウアン先生の方に向き直る。
「ここはジョウストン都市同盟内にある、元ノースウィンドウ村跡地の城で、アース城です」
「はい」
「そして、ここは現在ハイランドと交戦中の同盟軍の本拠地なのです」
「……はい」
「そして、あなたはこの同盟軍の軍主――つまり、ここのリーダーなのです」
「…………はい？」
今、何て？
「あなたが、同盟軍を率いる、リーダーだと言うことです」
ホウアン先生は改めてゆっくりとそう言ったけれど。
「……？！？！？」
ぼ、僕が、ここの？
理解しきれなくて、わたわたしていると、
デュオンさんが落ち着いた――だけど、軽さと明るさを含んだ口調で言った。
「記憶がないと、実感が湧かないだろ？ 僕もそうだったからな」
「え、あなたも？」
思わずデュオンさんの方を振り仰ぐ。
「あぁ、かつての赤月帝国将軍家の出身で、
帝国に革命を起こしてトラン共和国を打ち建てた、南の国の英雄だなんて言われたからな――君に」
「えっ、僕に？」
「あぁ、――まぁ、何とかなる物だから、落ち着いて」
「あ、はい」
何か――びっくりした。ものすごく。
だけど――僕の前に記憶をなくしたって言う、この人がいると、何となく落ち着く気がする。
「えっと、デュオンさんはここの客分だって言ってましたけど、僕が軍主ってことは、その――」
僕のお客？ と言うことだろうか……。
「あぁ、でも僕に対して軍主としての気は遣わなくていいよ。僕は個人的にここに来ているだけだから。
軍主と客人だとか、堅苦しい考え方はなしでいい。
僕と君は、個人的な知り合いなだけで、そういう立場抜きで話す存在だからね」
「そうなんですか？ ……よかった」
「正直だね」
「え、あっごめんなさい！ 急に軍主でお客なんて言われてもどうしたらいいか解らないなって――」
「謝らなくていいよ、最初は実感がなくてとまどうのは当然だ。
――僕達は君を知ってるけど、君にとっては知らない場所と人ばかりだものな」
そっか、皆は僕を知っていて、だけど、僕は皆を知らない……。
「えと……忘れてごめんなさい」
「謝る必要はないよ。少なくとも僕にはね。僕もキレイさっぱり忘れてたクチだし」
デュオンさんは僅かに冗談めかした口調でそう言った。
「……あ」
「記憶のことは、別に君のせいじゃないから」
「――」
――何だかこの人って、的確に僕の不安を解ってる気がする。
これが、記憶をなくしたことがあるってことなのかな……？
「……あの、僕ってどんな感じだったんですか？ 忘れる前は」
「そうだね、君はあまり変わらないように見えるよ。僕とは違ってね」
「あなたは、変わったんですか？」
そう訊くと、デュオンさんは少し考えるような表情を見せて。
「多分、表面上は違って見えてただろうな。
――最も、この辺りは、本人より周りの人間に訊いた方が良いかも知れない。
自分だと見え難いものだからね」
「あ、確かにそうかも……」
デュオンさんは、視線を上げて窓の外を見遣った後。
「取りあえず、案内がてら、部屋まで送ろう。――ホウアン殿、いいですよね」
と、ホウアン先生に、確認を取った。
「えぇ、軍師殿には私からも連絡を入れておきます。徒、お二人とも、今日は安静にしていて下さい」
「ああ」
「解りました」
僕とデュオンさんはほぼ同時にうなずく。
「では、お大事に」
ホウアン先生に見送られて、僕達は医務室を後にした。
廊下を辿って建物の外に出ると。
そこは裏庭のようで、陽の光を受けた木々が並んでいた。
「今の所が道場、そっちの建物は図書館――君の部屋は中央の棟だよ」
歩きながらデュオンさんが説明してくれる。
「へぇ……結構広いんですね」
さくさくと背の低い草を踏みしめながら足を進めると、目の前に城壁が見えた。
デュオンさんが城壁のずっと左手側の方を示して。
「向こうに見えるのが正門、正門の前の通りは商店街だ」
そう言いつつ、自分達も左に曲がった。
「で、ここが中央棟の入り口」
デュオンさんに続けて、建物の中へ入る。
中は、天井が高く、開けていた。
「この場所が一階中央の広間。色々な所に繋がってる。
向かって左はさっき出て来た医務室や道場方面、右側はレストランや中庭、畑なんかに続いてる」
「うん」
「君の部屋は上の階だ」
「あ、はい」
デュオンさんの後に続く。
「――ここが君の部屋」
デュオンさんが扉の前で足を止めた。
「あ、送ってくれてありがとうございます」
「いいや」
デュオンさんは軽く頭を横に振った。
僕はそのまま部屋の戸を開けて――。
「……何か、立派じゃないですか？ この部屋……」
足を止めた。
「まぁ、軍主の部屋だからね――落ち着かない？」
横から部屋を覗いてデュオンさんが訊ねた。
「――はい、何となく……」
「まぁ、無理もないかも知れないね。君は道場の子として、普通の生活をしていたらしいから」
「そうなんですか」
「ああ」
――今の言葉で、ちょっと気になる所があった。
「あの、あなたと僕は、どの位前からの知り合いなんですか？」
疑問を言葉に乗せる。
〝普通の生活をしていたらしい〟――ってことは、その頃の僕を直接知らないってことだ。
その推測の通り、デュオンさんは少し遠い微笑みを浮かべて。
「――割に最近だよ。未だ数ヶ月」
「え――」
ホントに最近なんだ。
「意外？」
「はい」
「どうして」
「いえ、個人的な知り合いとして来てるって言ってたので、昔からの知り合いなのかと思って」
「そうか」
そう言って見せた微かな笑みはどこか親しげで。
「仲、良かったですか？」
思わずそう訊ねていた。
「ん、僕と君がか？」
「はい」
デュオンさんは少しとまどうように視線を向けて。
「そりゃ悪くはなかっただろうが……本人に問われるのは妙な感じだな」
「あ、そうですよね、すいません」
「謝るには及ばないけど」
僕は慌てて、そんなことを訊いた理由を説明しようと口を開いた。
「徒……今の僕は、あなたがいると、落ち着くんです。だから、前の僕もそうだったのかなって……」
デュオンさんは少し意外そうに瞬いた後。
「それは……ありがとう」
表情を緩めて、そう言った。
僕は続けて口を開く。
「あなたは、今の僕のこともよく解ってるみたいだし」
「それはまぁ、先に記憶なくしてるから」
「それだけでしょうか？」
僕は記憶のないデュオンさんのことは知らないけれど。
「え？」
「いえ、例え記憶をなくしたことがなくても、デュオンさんはデュオンさんの気がして」
「それは……記憶をなくそうがどうしようが、人の本質までそうそう変わったりはしないかも知れないが」
デュオンさんは少し考える視線でそうつぶやいた。
僕はふと、視線を空中に投げて、眼が覚めてから今までのことを思い返しながら。
「皆が僕を〝知ってる〟眼で見るのって、不思議ですよねぇ」
自然、気の抜けた口調になった。
「ん？」
いきなり変わった話題に、デュオンさんが聞き返す。
「僕の方は皆を知らないのに、皆は僕を知っていて――近くにいる人の眼で、僕を見るんです――あなたも」
「――迷惑？」
「いいえとんでもない！ 徒、不思議な感じだなって――」
そう言うと、デュオンさんは大人びた静かな微笑みを見せて。
「……そうだな、記憶をなくしてる時にしか、見えないこともある。――今の内に色々見ておくといいよ」
「はい！」
改めてデュオンさんに向き直る。
「あの、改めて、よろしくお願いします、デュオンさん」
「……あぁ、よろしく、リアン」