Ｐ４５
前のページへ 目次へ 目次２へ 入り口へ戻る トップページへ戻る
その夜、僕は翔がそっと寝床から離れるのを見た。
さすがに独りは危険だろうと思い、僕は後を追い掛けた。
「っ……」
堅く木の幹を叩く様な音がした。
下生えの枝を透かし見ると、誰かが……うずくまっている様だ。
（……あ）
薄闇の向こうに見える後ろ姿は――翔だった。
珍しく、背を丸めて座り込んでいる姿は――如何やら、落ち込んでいる様だった。
微かな風に乗って、『直人……』と、翔が呟く声が聞こえた。
「……」
――どうも、兄弟のこういう場面は居心地が悪い。
長らく顔を合わせていなかったのだから、なおさらだ。
見なかった事にして帰ろうか……と思ったその時。
「誰だ！」
「……」
翔に気付かれてしまった。
仕方ない。
僕が木陰から姿を見せると、翔は息を吐いた。
「……何だ、櫂か」
まぁ、モンスターとかを警戒してたから、そういう反応なんだろうけど。
「悪かったね、僕で」
わざとそう言うと、翔は軽く頭を振った。
「そーじゃねーよ」
そのまま、又視線を前に向けてうずくまった。
僕はその横に、少し離れて腰を下ろした。
「青木君の……事？」
やや間があって。
「……知ってたのか？ 直人の事」
翔はそう訊いた。
「クラスが違ったから、あんまり。学食なんかで顔は合わせてたけど」
「――俺の、所為かな」
ぽつりと、翔が言った。
「翔？」
「俺と……友達だったから、直人は黒い翼に眼を付けられて……あんな事に……」
「それは……」
無関係だとは、言ってやれなくて、僕は少し言葉に困った。
「俺は、どうしたら……！ あいつに何をしてやればいい？」
「……気持ちは解るけど、翔の所為じゃ無いよ。全てを仕組んだのは総帥だ。
――このままで終わらせたりなんかはしない」
そう言うと翔は顔を上げて僕に視線を合わせる。
「櫂。――お前は死ぬなよ。……本当は俺だって、お前と離れたくは無かったんだ」
翔の右手がそっと伸ばされ、僕の左手を掴んだ。
その手は翔らしくもなく、微かに震えていて。
俯いた肩には、青木君の事以外にも、もっと深い、何かがある様な気がして。
「……翔、青木君の事以外でも……何かあったのか？ 僕が在なかった間に」
そう言うと、翔はぽつぽつと話し出した。
「……お前が養子に行った後、しばらくして、俺にも養子の話が来てさ。普通の一般家庭ってやつだったけど、すごくいい人達でさ。あの場所は、すっごく暖かかった」
「幸せ、だったんだ」
「ああ。だから、急に無くなっちまうなんて思ってもなくて。でも、すごく寒い冬の日、二人とも交通事故であっというまに、さ……。信じられなかったよ。俺の知らない所で、何かが起きるのが、すごく怖くなった。あの後、俺の方もゴタゴタして、直人にはろくに別れも言えずに離れる事になっちゃったけどさ。それでも、直人の在場所は解ってたし、元気だって解ってたから、それだけで良かったんだ。それなのに……。何で、俺の大事な人ばっかり、こんな風になっちまうんだろうな。俺の……所為なのか？」
「翔……それは、違うよ」
少なくとも、翔の責任じゃ無い。
「櫂……お前は在なくならないでくれよ。やっと……見付けたんだ」
翔は顔を上げると、正面から視線を合わせた。
「凪の代わりに……今度は俺が守るから」
「……」
……違う。
翔が代わりなんじゃ無い。
僕は……君を探していたんだ。
勿論、凪が代わりだった訳じゃ無い。
僕の話を聞いてくれて、辛い時も苦しい時も、全て分かち合って来た、大切な友人だ。
だけど、だからこそ、凪には僕が探していたのが誰か、解ってしまったんだ。
凪を、一人になどしたくないのに。
如何して、僕は凪を助けられなかったのだろう――。
「か、櫂？ 俺、何か悪い事言ったか？」
「え……」
不器用に翔の指が頬を拭って、自分が泣いていたのに気付いた。
流石に気恥ずかしくて、眼を反らした。
「――翔が、馬鹿な事言うからだ」
半分、背を向けてそう言うと。
「馬鹿でもいいよ。俺は、櫂を失くしたくないんだ」
翔は……何時だって真っ直ぐだ。
再会してからも、昔のままの〝翔兄ちゃん〟だったから。
僕みたいに辛い事や、哀しい事なんて、経験してないんだと思ってた。
だけど、違ったんだ。
翔は……辛い事や哀しい事があっても、それは、翔の本質を変えたりはしなかった。
一人で泣いて、落ち込んで……そして又、笑うんだろう。
翔は……強くて、優しい。
でも、翔が僕に言った様に、翔だって、一人じゃ無い筈だ。
そうだろう？
「大丈夫……死なないよ、〝兄さん〟」
視線を合わせてそう言うと。
翔の眼が驚きに見開かれる。そして嬉しそうに笑顔に。
「櫂……。そうだよな、これから……離れてた分を取り戻そうぜ」
翔の言葉に、少しだけ笑う。
「翔が言うと、本当に出来そうな気がするから、不思議だな」
「出来るよ！ 俺は絶対に取り戻す！ だから、さ、一緒に頑張ろうぜ」
「翔……」
僕は数瞬ためらった後、
「……見付けてくれて、ありがとう、翔」
そう、ずっと独りだった長い間。
僕の心の……根源に近い場所に、大きな穴が開いてしまっていた。
誰も信じず、心を凍らせる事でしか、此処まで歩いて来られなかった。
だけど、これからは……違うのかも知れない。
少しだけ、皮肉では無い自分が、此処に在たから。