Ｐ２３

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「センセ、あんたから見て、誰が怪しいんだ？」
「それは……未だ」
「事態は切迫してんじゃねーか？」
「――多少、後手に回っている感は否めませんが……。向こうにも決め手は無い筈です」
「……」

「私も注意していますが……貴方も気を付けて下さい、逢坂くん」
「ああ。俺だって死にたかねーしな」

　俺は寮監室を後にした。

　ロビーにはおっさん……東堂先生が来ていた。ソファで何か読んでるみたいだ。
「また来てんのか」
「邪魔ですか？」
「別に……ヒマなんだな」
「ヒマ……と言う訳ではありません」
「おっさんはさ、水落センセと違って自分ちがあるんだろ？」
　寮監は泊まり込みだけどな。

「はい」
「だったら、さっさと自分ちに帰りゃーいいだろ？」
「帰っても、する事が……」
「無いって？　やだねーわびしい中年の一人暮らしなんざカッコ悪りーぜ」
「はは……確かに」
「……認めんなよ」

　何か俺の周り、こーいう奴多くねーか？

　俺はおっさんの向かいに座った。
　ロビーにはほとんど人気はない。

「おっさんはさ、結婚とかしようと思った事はないのか？　もういい年だろ？」
「結婚ですか？　――考えた事もないですね」
「何で？　人間界で幸せになろうと思えば出来ただろ？　つぶれかけの王国なんかほっぽってさ。
　結婚して、子供もいる平凡な幸せってやつを手に入れることだって、出来た筈だろ？」

　そう、紫苑なら。
　だがおっさんは真面目な顔で切り返した。

「クリストファー様は、今、幸せですか？」
「は？　俺の事は関係ねーだろ？」

「あります。クリストファー様が幸せでなければ、俺も幸せにはなれない」
「なんだよ、それ」
「貴方が幸せになるのを見届けたら、俺も自分の幸せを考えられるようになるかも知れませんが……」
「おっさんの幸せまで、俺の責任にしねーでくれよ」

　そこまで背負えねーぞ。

「貴方は、俺の事は考えなくてもいいんです」
「……紫苑」

　解んねーよ、俺の幸せなんて。
　おっさんが、自分の事はそっちのけで俺を育ててくれた事も、俺が寮に入った途端、紫苑の生活が手抜きになった事も知ってる。
　だけど、俺はどうしたい？

　――俺は、怖いんだ。あの日の惨劇が再び繰り返される事が。
　どうしようもなく、俺はあの時のままだ。

「クリストファー様、……休まれないんですか？」
「……」

「――ホットケーキ、作りましょう」
「……何だよ、それ」
　全く脈絡ないぞ。

「小さい頃は、よく作って差し上げたと思いまして」
「俺は、もうガキじゃねーよ」
「……そうですか」
　僅かにトーンが下がる。

「……けど、腹は減ってる」
　俺が付け足すと。

「解りました」
　言うなり紫苑はソファから立ち上がり、歩き出した。
「何処、行くんだよ」

　すると、
「寮監室にキッチンがありますから」
　という答えが返って来た。

「こんな夜中に……？」
　さすがに迷惑じゃないのか？
「セナに頼めば大丈夫です」
　と、紫苑は余裕で微笑む。
「部屋を貸してくれ」

　先日と同じ言葉は、先日の様な緊迫感は無い。
「かまいませんが……」
　水落もこれまた軽く了承する。

　紫苑は寮監室のキッチンを占拠すると、どこからか材料を引っ張り出し始めた。
　それは、子供の頃に見た光景、そのまんまだ。
　紫苑って、ホント器用なんだよな。とても近衛連隊長とは思えない位、料理以外の家事も全てこなして見せた。
　しかも何となく楽しそうだ。

　だけど、その姿は、近衛連隊長として以上に、見知らぬ人間界で俺を支え続けてくれた、頼もしい姿だ。
　……なんて、死んでも口には出せねーけどな。恥ずかしすぎる。

　やがてキッチンから、ホットケーキの焼ける香ばしい匂いが広がってくる。
　俺は、子供の頃には何度となく見ていた光景に、何となく懐かしいものを感じていた……。
　不意に目の前にホットケーキの乗った皿が差し出された。
　紫苑は黙って微笑んでいる。
　俺はさっそく一口、焼きたてのホットケーキを口にした。

「うまいですか？」
　少し、心配そうだ。
「ああ」

　久し振りの、変わらない――懐かしい味だった。

「よかった」
　紫苑の表情が緩む。
　全く、親バカだな。

「……ありがと、おっさん」
　ホント、変わんねーな。
「クリストファー様」

　穏やかな口調とその表情は、丁寧な言葉に反して、何処か、子供に向ける父親のようだった。
　なあ、シオン。もし俺が王太子じゃなかったとしたら、俺達、普通の家族みたいになれてたのかな。
　俺は柄にもなく、そんな事を思った。


　寮監室を出てから、俺は紫苑に聞いてみた。
「おっさんから見て、水落……セナって、どんなヤツだ？」
「セナは……己の役目に実直で、信頼の置ける人物です」
「昔っからの知り合いか？」
「…………。」
　おっさんは考えるように軽く沈黙した。

「？」

「……いえ、セナは近衛になって間もなく、人間界に来ていたらしく、まともに顔を合わせたのは、こちらに来てからです」
「――そうか」
　寮はすっかり夜の静けさに包まれている。
　俺は自分の部屋に戻る事にした。

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