Ｐ２
兆しの予感 〜来栖編〜
俺は、こんな場所に在る筈じゃなかった――
なんて思った所で詮無い事だ。
――それでも俺は、何時まで此処に在るのだろう。
中途半端な己のままで。
時刻は夕方。学園の裏手の林を歩いていると、茂みから何かが飛び出して来てぶつかった。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
…………。
生徒か。
俺は後輩らしい学生が落した眼鏡を拾い上げた。
「ほらよ。お前のだろ」
「あっ、ありがとうございますありがとうございますありがとうございます」
眼鏡を掛けた後輩が、俺を見て驚いた風に言う。
「……あ、逢坂来栖先輩……」
「俺を知ってんのか」
後輩はニコッと笑って、
「有名ですから。基礎課程を一回、本課程を二回留年して、
今は三度目の研修課程……ってごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「いや、別に。事実だからな、……数は若干違ってるが」
「それより先輩！ 翔君達が大変なんです！！」
「ショウ君？」
「今日転校して来た友達です。……先刻、地震があったでしょう？」
「いや？ あったのか？」
「あったんですよ！ それで地割れが出来て、二人呑み込まれちゃったんです！
翔君が助けに飛び込んじゃって……」
「飛び込んだって自分からか？ 物好きだな」
「だから助けを呼んで来いって……」
「そうだな、急げよ」
俺は背を向けようとした。
だが、眼鏡の後輩は、ガシッと俺の袖をつかんで引っ張った。
「先輩が助けて下さいよ〜」
「何で俺が」
「はやくしないと翔君達が……」
「もう死んでるかもな。崖から落ちたんだろ？」
「生きてますよ！ 返事してましたから！」
「じゃ、急いで先生呼んで来いや」
――俺は退散しようとした。
「先輩！！ 先輩が来て下さい！！ 翔君達が死んじゃう死んじゃう死んじゃう！！」
「おい……」
困った事に、その後輩はわめきながらポカポカ俺を叩き始めた。
「……あー、解ったよ。行きゃいいんだろ、行きゃ」
めんどくせーな。
「先輩！」
後輩がぱっと顔を輝かせる。
しょうがねーな。
「んで、何処だよ？」
「こっちです〜！」
その眼鏡の後輩は千倉杏里と名乗った。
地割れ現場とやらに急ぎながら、俺は気付いた。
「……千倉、誰か付けて来てる気がしねーか？」
「え、そうなの？」
「振り向くなよ。……走るぞ！」
囁くと同時に行動に出る。
「わ、先輩！ 待って下さいよぅ！」
何度か方向転換しながら、木々の間を縫うように、ダッシュと急ブレーキを繰り返す。
すると、追跡者の姿がチラリと木の向こうに見えた。
――俺は立ち止まり、溜め息をついた。
「……やっぱりおっさんか……」
「え？ 東堂先生？」
木陰から出て来たのは茶色のスーツ姿の歴史教師、東堂紫苑だった。
ちなみに空手部と文芸部の顧問もやっている。ヒマなのかね。
「何でこんな所でストーカーしてんだよ」
俺が文句を言うと、薄い眼鏡の向こうの表情が僅かに曇った。
「いや、俺はお前……お前達が林の中に入って行くのを見て、」
「付いて来たって？」
迷惑な話だ。
「先輩、丁度良かったじゃない。先生にも来てもらえば……」
「おっさんの助けなんかいらねーよ」
「おっさんではなく、先生と呼べ、逢坂」
「へいへい」
「先輩〜来てもらいましょうよ〜」
千倉は困った風に俺に言う。
――ああは言ったが、千倉の判断は正しいのも解っている。
千倉の困り顔に溜め息をついた。
「――千倉、何があった？」
おっさんが訊く。
「それが……」
俺は再び溜め息をつく。
「……まあいい。それより、急ぐんじゃないのか。説明は歩きながらしろよ」
「あ、うん！」
俺達は再び急ぎ足で歩き始めた。
――地割れ現場に着いた。
……見事に割れてんな、こりゃ。――千倉の話は本当だったようだ。
しかし地震……いや地盤沈下だったのか？ ――俺は揺れには気付かなかった。
「翔くーん！！」
千倉が呼び掛けたが、反応は無い。中は暗闇だ。
「落ちたのは確かなんだな？」
俺は千倉に確かめる。
「うん」
「生きてたんだろ？」
「うん！」
「じゃ、何処行ったんだ？」
「うーん……」
「崖づたいに移動したのかも知れんな。かなり奥まで続いている。――噂は本当だったと言うことか……」
おっさんが呟いた。
「噂？ 地下に戦時中の基地とか遺跡とかってやつか？」
だがおっさんは首を横に振る。
「いや、それは両方ともガセだ」
「じゃあ実際は……？」
「ともかく、こうしていても仕方が無い。降りてみるか」
「おっさ……東堂センセは学校行って誰か呼んで来てくれよ」
「いや、先刻携帯で連絡を入れた。直ぐに助けが来る」
「ち……喰えねえおっさん」
「逢坂、何か言ったか？」
「何でもねー。お前は如何する？ 千倉」
「僕も行く！」
「無理しなくてもいーぞ？」
「無理なんかしてない！ 僕も行く僕も行く僕も行く！」
「あっそ。じゃあ、行くか」
俺達は地割れの中に飛び込んだ。
岩壁を擦りながら、土煙と共に地下に降り立つ。
「……っ……て、結構深いな」
「いたた……」
「千倉、逢坂も大丈夫か」
おっさんの声だ。
「ああ」
「うん……大丈夫」
「千倉、懐中電灯持ってるか？」
俺は持って来てねーけど。
「うん、ちょっと待って」
カチリという軽い音と同時に、懐中電灯の光が闇の中に伸びて、岩肌を照らす。
――懐中電灯の光に、何かが一瞬反射してきらめいた。
「――ん、何だ？」
近付いてみると、地面に剣が突き立っていた。
「もしかして戦争中の……？」
「とてもそうは見えねーぞ？」
両刃の両手剣だ。日本刀とかじゃ無い。
「まあいい。拾ってくか。役に立つかもしんねーし」
俺は剣を引き抜いた。――使えそうだな、刃の状態も悪くない。
「確かに、何があるか解らんからな」
そう言いながらおっさんが何かを取り出して拳に装着している。
――ナックル？ んなもん持ち歩いてんのかよ。世も末だな。
「どうやら落ちた学生達は向こうに進んだようだな、……足跡が三つ、奥へ続いている」
「……ホントだ」
「如何する？ 逢坂、千倉」
「行く！ 翔君達を探しに行く！」
「……俺も行くよ。仕方ねーからな」
俺達は足跡を辿った。
異変は直ぐに起こった。
俗に言うスライムの変形みたいな妙な生き物の一群が目の前に飛び出してきた。
「何だこいつら？」
まるで化け物だな。
風を切る様な音を立てて、その中の一匹が飛び掛かってきた。
「逢坂！」
おっさんが飛び出して来た。
「庇ってんじゃねーよ、おっさん！」
「お前達は退がれ。ここは俺が……」
「ばーか、武器があるんだ。誰が逃げるかよ」
俺は言い放つと、モンスターの群れに斬り込んだ。
十分後。
周囲にはあちこちにモンスターの残骸が散らばっている。
「終わったな」
「東堂先生、逢坂先輩、大丈夫？」
「ああ」
どっちもせいぜい掠り傷だ。
千倉が俯く。
「でも……」
「でも？」
「僕、役立たず……」
何やら落ち込んでいる。
「ま、いいんじゃねーの？」
「先輩〜……」
「逢坂」
おっさんにたしなめられた。やれやれ。
「ところで先刻から気になってたんだが、お前、何持ってるんだ？」
俺は千倉が握り締めている物体に眼を移した。
「あ、これ……フルートです」
「フルート？ 吹けるのか？」
「う、うん」
「だったらさ、泣き言よかフルート聴かせてくれねーか？ 景気良くさ」
「うん！」
千倉は嬉しそうにフルートを吹き始めた。
――よく澄んだ、いい音色だ。……上手いな。
だが、そのうち妙な事に気付いた。
「――？」
先刻まで軽い痛みを感じていた切り傷や擦り傷が痛まない。――直っている？
傷のあった筈の腕を注視した後、おっさんの方を見ると、
おっさんも同じ事を感じたらしく、視線がぶつかった。
――？
解らねー、と僅かに首を傾げた。
「先輩？ 如何かしたんですか？」
見ると、曲が終わって千倉がこっちを見ていた。
「いや、――お前のフルート、元気が出るな」
取り敢えずそう答えた。
「本当？」
「ああ」
確かにそれは本当だった。
「千倉には音楽の才能があるようだな。いい演奏を聴かせてもらった」
おっさんもその点は同意見のようだ。
――それだけじゃねーよーな気もするんだが……。
ま、今考えても仕方ねーか。
「翔君！？」
出口と思しき光が射し込む場所には、累々たる光景が広がっていた。
学園の生徒らしい、人影が三人倒れている。そして――
一際でかくて強力そうな化け物が倒されていた。
「俺達が倒して来た奴等とは格が違うな」
横目で呟く。
「死、死んじゃってるの……？」
後ろで千倉が震えている。
「待ってろ」
俺は三人の学生達の様子を見に近付いた。
――息はしてる。あちこち裂傷はひどいが、そこまでの出血じゃないし、致命傷らしい傷はない。
「大丈夫だ、三人とも気絶してるだけみたいだな。ケガはひどいが、死ぬような傷じゃない」
「ほんと？ よかった……」
「こっちの化け物は完全に死んでるな」
むこうはおっさんが確認したようだ。
「こいつらが倒したのか？」
「そのようだが……」
おっさんは化け物の死骸を前に思案している。
――ん？
俺は倒れている生徒の一人が、首から掛けているペンダントに眼を止めた。
このデザインは……まさか！
「東堂先生！ ちょっと来てくれ！」
「どうした？」
「これ……このペンダント……」
おっさんに確認すると、おっさんの顔色も変わった。
「これは……じゃあこの子は……」
がっちり竹刀を握り締めたまま倒れている、淡い茶色の髪の生徒だ。
「どうしたの？」
千倉が声を掛けて来た。
「いや、なんでもない」
おっさんが取り繕う様に立ち上がった。
「とにかく、羽村達を保健室に運ぼう。逢坂、手伝ってくれ」
「ああ」
――こいつ、羽村って言うのか。
俺は微妙に複雑な面持ちでその生徒を眺めた。
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