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２日目、朝２〜屋敷〜
屋敷に近づくにつれて、自然と足は速くなる。
屋敷を見た瞬間、赤い痛みに襲われた。
これは、昨夜の赤い痛みだ。
くらりと、視界が揺れた。
また――？
何だろう、この感覚は。
もしかするとわたしは――
わたしが覚えてないだけで、わたしが忘れているだけで、わたしはここを見知って――
「っ」
軽い痛み。
「着いたよ」
その言葉に顔を上げる。
今度は痛みは来なかった。
わたしはいつもの癖でそのまま屋敷の引き戸に手をかけた。
からから……と、軽い音を立てて扉が開く。
「……あれ？」
「開いてるね」
「そう……ですね」
わたしは未だ鍵を開けていない。
「君は下がっていて」
「は、はい」
ケイくんが先に中に入って行く。
「とりゃああっ！」
「おっと」
何が起きているんだろう。
覗き込むと、小さな女の子からケイくんがトンカチを取り上げた所だった。
「君みたいに小さな子がこんな物を振り回すとは物騒だね」
「おにーさん、何者ですか！？ 尾花が警戒してます！ ただの人じゃないですね！？」
尾花？
その声に見回すと、白い子狐が女の子の足元で警戒態勢を取っていた。
「参ったな、確かに僕は怪しいものかも知れないけれど……こっちの彼女は違うよ。何しろこの屋敷の持ち主だからね。君こそ、不法侵入なんじゃないのかな？」
「うっ、それは……申し訳もありませんでしたーっ」
と、その場で土下座を始めてしまい、平謝りに謝られて、警察とか裁判所とか保健所の類には通報しないで下さいと頼み込まれてしまった。
「あ、うん、別に住んでたことはどうでもいいんだけどね。ずっと放ったらかしだったし、掃除とかもしてくれたりしたみたいだし」
「其れは恩に着ますー」
お互いの自己紹介と事情を話して一息。
若杉葛と名乗った女の子はしばらく前からこの家に住み着いていたらしい。
何でも弱肉強食を家風としている為に、一人と一匹旅をしているそうだ。
「それでやっぱり、わたしは追い出されてしまうんですかね？」
「追い出したりしないよ！ 夏休みの間中いてくれてもいいよ。わたしも付き合うから！」
そう、こんな小さな子を一人で放っては置けなかった。
「え？」
「あ……もしかして迷惑？」
「とんでもない！ わたしなんぞの為にそこまでして頂くなんて勿体なくてですね……」
「そんな事ないよ！ 一緒に頑張ろうね」
そう言って手を差し出す。
「たはは……お手柔らかにお願いします大家さん」
「結構立派なお屋敷なんだね」
来たついでにちょっと屋敷を散策してみる。
溜め息が出るほど広くて――懐かしい感じのする家だった。
ちょっと待って、なんで懐かしいの？
やっぱりわたしはこの家に来たことがある？
確かに此処はわたしの生まれ故郷でもあるとは聞いているけれど――わたしにはその記憶は無い。
それとも写真か何かで見たことがある？
いやそれはない筈だ。
十年前の火事で、わたしの家も、写真も、お父さんも、わたしが覚えていた色々なことも、何もかも――みんな焼けてなくなってしまっているから。
せめて家族の思い出だけでも取り戻せるならいいのだけど――
ボーン。
「――えっ！？」
聞こえるはずのない音が鳴った。
鴨居の高さにある縦長の柱時計、それが大きく揺れていて――
何かがかみ合う音がした。
若い頃のお母さんが、小さなわたしが、笑っているお父さんが、そして夢の中のユメイさんがわたしに話し掛けている――そんな映像が一瞬見えた。
そしてふと、その柱時計のある柱に、傷が付いているのが見えた。
.わたしの丁度胸あたり。
だいたい小学校に入った位の子の高さまで、何センチか刻みに傷が付いている。
――ああ、これは背比べの跡だ。
お父さんの実家なんだから、お父さんのものかも知れない。
そう思って見てみると。
「なに……これ……ケイ……？」
わたしの名前だった。
そしてもうひとつ。
ハクカ
ケイ
ハクカ
ケイ
ハクカ
ケイ
ほとんど同じ高さに刻まれた名前。
「ハク……カ？」
つぶやいた途端の痛みに、わたしは膝を折った。
「桂！？」
「桂おねーさん！？」
ケイくんが倒れる前に支えてくれた。
誰？ 誰なの？ ハクカって誰？
駄目、考えちゃ。
忘れてしまえと、ユメイさんも、ケイくんも――
考えなければ、痛みは嘘のように消えて――
なのにわたしは思い出したいと思ってしまった。
ハクカって誰だろう。
ユメイさんやお父さんと同じで、忘れちゃいけない人のはず。
もしかして、ユメイさんがハクカさん？
わからない。
思い出せない。
駄目だ此処を出なければ。
「あ、うん、ごめん、ちょっと目眩が……ケイくんありがとう」
「いや、大丈夫かい？」
「うん」
わたしは柱を見ないようにして立ち上がった。
「じゃあ、こっちに移る準備してくるね」
「それならわたしも町まで行きますよ。おねーさんが来るなら色々準備が必要ですしね。若杉葛の小悪魔的プロジェクト、どうぞお楽しみにです！」
「僕も用事があるからこれで失礼するよ」
ケイくんも立ち上がった。
「うん、また逢えるといいね」
「いや……君は一刻もはやく、そのお守りに《力》を織り込んで貰って帰るべきだよ」
「あ……そうだった……」
「オハシラサマの所へももう行かない方がいい」
「どうして？」
「どうしてもだよ」
理由はさっぱりだったけど、わたしのためを思ってくれているのだけは伝わってきた。
それはユメイさんの「駄目」と同じ響きを持っていて――
わたしは黙って出て行くケイくんを見送った。