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１日目、夜５〜絶縁〜
「烏月さん、待って！」
「今はまだ夜中だよ」
「あっ……」
烏月さんの静かな声に我に返り、両手で口を押さえた。
「……どうやら、起きてくる人はいないようだね」
「ううっ、ごめんなさい……」
「私に謝られても困るんだけどね」
「でも、それとは別に謝らないといけないし……」
「別に？」
「助けてもらったのにあんなことになっちゃったから……お礼もまだ言ってなかったし……」
「そんなことで、わざわざ追ってきたのかい」
「そんなことって、大事な事だよ？」
「ああ、確かに感謝の念をもって生きるというのは大変な美徳だ。だけどね」
手にした刀を持ち上げて、わたしの言葉を遮った。
「折角拾った命を賭けるぐらいだ。ユメイさんはあなたにとって大切な存在なんだろう？ 私は人ではないモノであるユメイさんに刀を向けた。半分は脅しだったとはいえ、この刀をあなたに向けた。そんな私に礼など言うべきなのか」
――そう、烏月さんは言った。まるで烏月さんが、わたしの仇であるみたいに。
「えっとね、それでも……。それはそれ、これはこれ、って言うんじゃ駄目かな、やっぱり」
「……」
信じられないと言った眼差しで、わたしの事をまじまじと見る。
「せっかく仲良くなれたのに、あんな形でケンカ別れだなんて嫌だよ。ユメイさんの事だって誤解だったんでしょ？」
「それがあなたの考え方か」
「うん、一応……」
「ならば警告しておこうか。二兎を追うもの――とまでは言わないけれど、それではあなたが傷付くだけだ」
「えっ！？」
「鬼に関わるのなら私には近づかない方がいい。私も関係者からは距離を置くようにしている」
「……やっぱり謝っても駄目？」
そんなに怒らせてしまったのだろうか。
「謝るも何も、鬼というものはね、生まれついての鬼よりも、人の成れの果てとしての鬼の方が、はるかに多いものなんだ」
「人の……人が鬼に……？」
「そう、人が鬼に成るんだ。敵陣に入った将棋の駒が、裏返って別の働きをする駒に成るように、業の深くに踏み込んだ人が裏返ると――」
「人とは違う、鬼に成る？」
「そう、私が切ってきたのも、大半がそうした鬼だった」
そう言って唇だけで笑った。
「もう幾度となく繰り返した。鬼と成った人の家族や知人に憎まれるのは――慣れているよ」
そう言って烏月さんは笑った。
とても哀しい笑顔だった。
「あなたとて、私が彼女を切っていたら、こうしてここには来なかっただろう？ 私と親しくなるほど、私があなたの近くで鬼を切ったときに辛い思いをすることになる。関係者に見知った顔が混じることは珍しくないからね」
「でも……」
「そしてあなたと鬼が親しいほど、あなたの命は危なくなる。私は役目のためならば、人すら手に掛ける鬼切りなんだ」
「でもっ！！」
理屈では止められそうにない烏月さんの言葉を、わたしは感情だけで遮った。
「でもユメイさんに謝ってたよね！？ 切るのを止めてくれたよね！？ それなら――」
「私は本当に切るんだ。すでに切ったこともある」
「……鬼を？」
「人を」
すがるようなわたしの想いは、ぞっとするほど硬い瞳に跳ね返された。
「もし彼女が人に害を為す悪鬼と成るなら、私は何があろうと必ず切る。あのときの言葉に偽りはない。加えて、もしあなたの家族や友人が鬼と成ったなら、私はそれを絶対に切り伏せる。いいかい、絶対にだ。あなたは優しい人だから、感情をぶつける相手を見付けられずに、辛い思いを抱えることになる」
其れは、拒絶と言う名の、わたしへの思い遣りだった。
「でも――でも、それって『もしも』の話しでしょ！？」
「可能性はあるんだ。誰もがその魂に鬼を宿しているのだから。そしてことが起こってしまえば、いくら悔いても遅すぎる」
「そんな――だから烏月さんは――」
これは訊いてもいいことなのか、わからないけれど。
「烏月さんは誰とも関わる気はないんだ？」
「私は私である前に、千羽党の鬼切り役」
――言い切った。
最初に烏月さんを見たときに、日常離れした雰囲気を纏った人という印象を抱いて、それを綺麗だと思ったのだけれど。
その綺麗さが、今は哀しかった。
「それなら、烏月さん。どうして私と話してくれたりしたの？」
「そうしないのは不自然だから。あなたとは今日明日きりの関係だと思っていたから。私の役目とは無縁の存在だと思っていたから――だけどそれは誤りだと、すぐに気が付いたよ。気が付いていてここまで関わってしまった私も、相当に愚かなんだけれどね」
自嘲じみた声音で烏月さんは続けた。
「桂さん、あなたはサクヤさんの知人であり、ユメイさんのような存在が依って立つ存在であり、あなた自身が鬼に縁あるさだめの持ち主だ。今ここで別れた後も、いつの日にか運命が重なることがあるだろう。そしてそのときはきっと、私たちは対峙していることだろう」
「そんなの――解らないじゃ……」
「だからここで、私たちの縁の糸を断ち切ろう」
振り切った維斗の刃先が首の皮一枚すんでのところを通り抜け、遅れて届いた剣風がわたしの身体を凍らせる。
たった一本だけ刃に触れてしまった、乱れて浮いていた髪の毛が、ゆっくりと廊下に落ちた。
刀を鞘に戻した烏月さんは、振り返りもせず廊下の向こうに消えていく。
そしてわたしは、ひとりその場に取り残された。
何処か心にぽっかり穴が開いたような、そんな気持ちを抱えたままで。
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