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１日目、夜２〜夢〜
森。
夢の中でわたしは誰かに手を引かれて走っていた。
――振り返る。
向こうには大きな平屋の屋敷が見える。
ざっざっざっざっ
何かに追われる様に急いでいる。
向き直る。着物姿の白い小さな手に引かれた小さな後ろ姿が見えた。
あれはわたし？ わたしだろうか。
手の感触は――ある。
あるのにわたしは第三者の様に其の景色を眺めている。
はやく、はやく、はやく――
知らない筈のこの道の先をわたしは知っている。
其処には大きな樹があって――
「駄目――」
ああ、これは夢を遮る《意思》だ。
何が駄目なの？
「桂ちゃん、考えないで――」
どうして駄目なの？
「駄目なの、桂ちゃん――」
声と共に、光が弾けた。
「えっ？」
「――桂ちゃん」
其処に在たのは、哀しげな瞳をして、月光の様に光る蝶を付き従えた青い着物の女の人だった。
ああ、この声は、この顔は――
痛みが走った。
「駄目、考えては駄目」
知っている。誰かに似ている。
それはとても懐かしくて、毎朝毎晩鏡で見ている――わたしに似ている。
ズキン。
また赤い痛みが走った。
どうして、こんな、わたしは一体。
「桂ちゃん、お願いだから考えないで」
柔らかな手が頭を撫でる。
それはとても懐かしくて、お母さんの手にも似ていて。
ああ、やっぱりこの人は――
「駄目」
近付いてきた痛みの気配を言葉一つで追い払う。
「ねぇ、約束して」
「約束？」
「わたしの声も姿も、あの景色も、夜の淵に沈めてしまうと。明日の朝日に溶かしてしまうと」
「それって……忘れろって事？」
「夢は、徒の夢だから」
わたしは首を横に振る。
「桂ちゃん、どうして――」
良く解らないけれど、忘れたくは無かった。
わたしだってこの人を困らせたくは無かった。
だけど、どうしても。
大事な何かを手放してしまう様な気がして、頷けなかった。
「だって、忘れたくないものは忘れたくないんだもん」
何だかわたしは駄々っ子だ。
「桂ちゃん、お願いだから聞き分けて」
わたしが再び口を開こうとした時――
「ふふっ、うふふっ――」
人を小馬鹿にするような、笑い声が聞こえた。
「だ、誰っ！？」
チリン。
鈴の音が、聞こえた。
「そんな――」
見やった彼女の顔には、やるせない表情。
「隠されっ子、みぃーつけた」
瞬き一つの間隙をついて、世界が入れ替わった。
赤く、赤く、入れ替わった。
赤い赤い夢を視た。
ぱたっ
雫がわたしの頬を伝う。
雫が地面に映った月を揺らせた。
これはわたしの涙だろうか。
赤く歪んだ世界の中で、雫が今度は額を叩く。
違う、此は涙じゃない。雨だろう。
あれ？ 確かわたしは月を――
それなのに雨が降っている？
つうっと伝った頬の雫が、唇の端から滲むようにじんわりと口内に広がった。
ほんの少ししょっぱい味で、ほんの少し、甘い芳香を含んでいて、ほんの少したった一滴だったにもかかわらず、それが雨でも涙でもなく、もっととろりと濃いものであることが解ってしまった。
唇を拭おうとした指の短い、小さい子供の頃のわたしの両のてのひらがべったりと――赤く赤く濡れ輝いていた。
「あ……」
血まみれの手を否定したくて、思わず、眼を閉じた。
てのひらが、わたしの両肩を包んだ。
その両手は大きくて、骨ばっていて、あの人の手ではなかったけれど、何だかとても安心出来て。
誰だろうと眼を開けるわたしの前に、ぽっかりと開いた穴があった。
そこから流れ落ちた血が地面に大きな血だまりを作って月を映している。
「いや……なんで……」
わたしはむずがるように身体をゆすって、両肩にかかる手を振り落とす。
ずるりと、力をなくした手が落ちた。
ずるりと命をなくしたからだがかしいで。
「桂……」
最後に、わたしの名を呼んで倒れた。
「いやあぁあぁあぁあぁーーーーっ！！」