祈りの海
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龍海人様
リアンはアース城の中を走り回っていた。訓練場に顔をだし、酒場に顔を出し、図書室に足を向け、ばたばたと走り回る軍主に自然と視線は集まる。
「リアン様ー？ どうされたんですか？」
兵士の一人が恐る恐る訪ねてきた。それこそつい先日までリアンの空元気っぷりを知っているからこそだ。
ルカという強敵を倒したというのに戦争は終わらなかった。親友であり、同じ目的を持っていたはずの少年から与えられたのは無情な決別だった。天真爛漫に笑顔を振りまいていたリアンが一転して、必死に笑顔を浮かべようとしていることなんぞだれでも気づく。
その原因がジョウストンの丘にあったのだと気付かないはずがなかった。
だが隣国の英雄がこの城に訪れてから、無理やり浮かべていた笑顔が本物になってきた。年のころを同じくし、同じように英雄として戦争を戦い抜いた生きた伝説がいることによって得られる奇妙な安心感からだろうと周囲は勝手に推測していた。
「デュオンさんを探してるんです！ どこにいるかご存じないですか？」
赤月帝国を滅ぼした英雄は一方で熱狂的に迎え入れられた。主にトラン共和国に属しているものたちは、いちようにデュオンを見る目が尊敬の念を帯びていた。そしてその視線をひとつひとつ受け止めて笑顔すら浮かべているデュオンは、いつかジョウイと一緒に読んだ物語にある英雄の姿そのものだった。
だがその一方で、トランと平和協定を結ぶことを渋る勢力もある。赤月帝国とトランとは別だと頭ではわかっていても、感情が追いつかない。帝国を滅ぼした英雄だからこそ、今度は都市同盟を狙っているのではないか、と馬鹿な話だ。
そのあたりはシュウがうまく治めるだろうし、リアンもデュオンに煩わせるつもりはない。そもそも彼がここにいるのはリアンがお願いしたからであり、トランと関係ない私人として訪れてくれているのだ。
別にいいよ、暇だし、と言った。そして約束通りアース城に来てくれたのがうっかりするとすぐに姿を消す。そして城中探し回る羽目になるのだ。
実は迷子になりやすいとか？ とリアンは考えてしまう。
「トランの英雄でしたら湖のそばにいましたが……」
「あ、本当？ ありがとう！」
なるほど、城の外側だとは思わなかった。リアンは兵士の言葉を聞いて、そのまま目的地を変えて走る。
転ばないように気を付けてくださいねー、という声が聞こえて、笑う。
ここはどこかのどかだと、アース城に訪れたばかりのデュオンに言われた。難攻不落の岩城として名高いトランのエレメント城に比べて、確かにこのアース城はのどかかもしれない。
立地的には恵まれているともいえる。デュナン地方の中央部に位置し、水路、陸路と選択肢も豊富だ。反面、周囲を包囲されるとどうしようもないという弱点もあったが、順調にハイランドの軍を破り今では一大勢力として数えられる。ルカを倒していなければもっと厳しい状況が待っていたかもしれないが。
ルカを倒しても、望む平穏は得られなかった、と心が陰りそうになるのを首を振って誤魔化した。
とん、と足取り軽く湖へと赴くと、そこには湖畔を眺めるデュオンがいた。
声をかけようとして、止まる。
バナーの村で魚釣りをしていたときの横顔を思い出す。
あの村にあのときに行かなければ、リアンとデュオンが直接的に出会うことはなかっただろう。それは一種の偶然だ。だが、彼に会ったからこそリアンは平静を取り戻すことができた。
隣国の英雄。年のころは変わらず、リアンと同じように真なる紋章を宿している青年。
どこまでも静謐。あの静かな空気を乱していいものか、と躊躇してしまった。
だがそんなリアンの葛藤に気づいたのかそれとも単に気配を感じ取ったのか、デュオンの視線がこちらを向いた。リアンを見つけて、黒い瞳が柔らかく細められる。
「どうしたんだい？」
「え、っと」
会いたかった、というのは少し理由として恥ずかしい。リアンも自分でわかっているのだ。思った以上にデュオンという青年のそばは居心地がいい。
それは、英雄という型にはまったリアンの姿を押し付けてこないからであり、そうあることが望まれているとわかっていても悲鳴をあげてしまう心をいやしてくれるからだ。
「お時間があるなら手合せを、と思いまして」
裏の意味としては書類整理から逃げてきました。そういうリアンの気持ちも全部わかったうえでデュオンは笑って許してくれる。その居心地のよさに慣れてはいけないと思うのだが、絶妙な距離感によってずるずると深みにはまっている気分だ。
「……いいよ。俺も体を動かしたかったから」
「やった！」
兄がいたらこんな感じなのだろうか。いや、ジョウイのそばにいるのと似ているのかもしれない。
そんなことを思いながらリアンはデュオンの手を引く。
「デュオンさんはどうして湖へ？」
バナーの時もそういえば一人だった。
何気なく尋ねた。深い意味はない。気になったから口にした。それだけだ。
デュオンの呼吸が不自然に一瞬止まった。そのことに気づかなければ、流せていただろうほんの少しの間にリアンは気付いてしまった。
「……、落ち着くからだよ」
何事もなかったかのように口調を取り繕ったデュオンに何も言えなかった。リアンも気付かないふりをするように声を上げる。
デュオンに大きな傷はない。だがまるで胸にきずがあるかのように、見えない傷口から今もまだ血が流れ続けているような気がして、リアンはことさら明るい声を出そうと努めた。
＊＊＊＊＊ ＊＊＊＊＊
「で、なんで僕のところに来るの」
「ルックとデュオンさんが仲がいいという噂を聞いたから」
誰に？ と低い声音で尋ねられたが間髪入れずにデュオンの名前を告げれば、形のよい眉の間に皺が寄った。相変わらず石版の前という定位置にいるのはルックだ。本人から聞いた言葉は噂と言わないよ、なんて杖で殴られた。痛い。
あのあとデュオンと手合せをし、訓練場では英雄対決と銘打って盛り上がった。盛り上がりすぎてシュウから怒られたので、ビクトールを生贄にして逃げてきたところだ。同じようにデュオンも姿をくらませていたから考えることは同じだった。
「――――デュオンさんさ、なんで一人になるの？」
英雄と呼ばれているのに。あれほど力があるのに。それでも気付けばデュオンは一人になっている。
出会って日の浅いリアンに踏み込める領域ではないとわかっている。
ルックはじろりとリアンを見た。
「あんたにそんなことを気にする余裕があるの？」
「いや、うん、ないんだけど」
ないこともわかっている。わかっているのだが、手を差し伸べてくれたデュオンのことが気になるというか、それも好奇心からか。
ルックは毒舌だ。だが嘘も誇張もない。話を聞く相手としてはまずまずだと思っているのだが。
「……………………」
無視をするルックとじーっと見上げるリアン。
根負けしたのはルックだった。
「理由が知りたいなら本人に聞けば」
「尋ねていい雰囲気じゃないです」
「だったら聞かなければいいだろ」
「そこを放っておけないというか」
「お節介」
それでも引かないリアンにルックは特大のため息を吐いた。
そして。
「あんたが思ってるほどあいつは強くないってだけだよ」
「……デュオンさんが？」
あのデュオンが？ バナーの村においてもモンスターをほぼ一撃で倒す鬼神のような戦いぶりを見ても、すさまじい実力を持っていたというのに？
「『人が死ぬことに慣れない』」
ルックのその一言に心臓がきゅっと締め付けられた。
強いと言う言葉は、剣の実力だけではない。心の強さ。
湖を眺めて、胸を押さえる。
どうしてそれを考えつかなかったのだろう。ひとつ思い浮かぶと次々とわかってしまう。
バナーのときも。
そして、先ほどの光景も。遠く、湖を眺めていたデュオンの気持ちも。
たったその一言でわかってしまった。
「……これ以上は本人に聞いてよ」
はあ、と盛大なため息をルックは吐き出した。リアンはここまで教えてくれたルックに、辛うじて礼を告げる。
これ以上聞いては駄目だと思った。
人が死ぬ。戦争とは人の命を容易く奪ってしまうものだと知っていたのに。
デュオンは英雄で、リアンの憧れで、だからこそ忘れてしまいそうになるのだ。彼もリアンと同じ年頃の青年でしかない。そして……戦争を生き残ったということは、同じくらい人の死を見つめてきたということに他ならないのだから。
一人になりたいというのは裏を返せば、亡くなった人を偲んでいるともいえるのだ。
「……馬鹿じゃないの」
知りたいという気持ちに偽りはない。自分とは違う、もう一人の英雄。
リアンの浅はかな好奇心をルックは咎めるように言った。
事実だ。だが、ルックは続ける。
「あいつがどう思うかを勝手に考えて悩んでるなんて、馬鹿でしょ」
「………………ルック、それって」
ふん、ともう一度ルックは鼻を鳴らした。
その言葉の意味を考えて、止まる。
本当に？ 自分に都合のいいように流されているのでは、とまじまじとルックを見た。
「なんでこういうときだけ疑い深いのさ！ さっさといつものようにへらへら笑ってよね」
頬に朱色が差す。
ルックも、わざわざそういう意図をもって告げたということだ。
「…………で、さっさと行けば？ あいつのとこ。どうせあんたがうじうじしてるのだって気付かれてるだろうし」
「うん！ ありがとう！」
わかりにくい。そして厳しい言葉を投げかけられる。
だがルックは嘘も偽りも言わない。
『デュオンに尋ねる前に自分で勝手に決めるな』
『笑顔を浮かべていろ』
『悩んでいることに気づかれている』
さっさと解決してこい、とそういうことだ。
「ルックって面倒見がいいよね」
石版の前から再びデュオンを探すために歩き出し、思い出したように足を止める。
トラン解放戦争のときの話を聞くとルックはずいぶん雰囲気を変えたらしい。切って捨てるような態度から、突き放すときが多いけれど、助言を与えるような態度に。
虚を突かれたようにルックは固まった。
次の瞬間、頬を赤く染めて、言った。
「うるさい！ さっさと行かないなら、切り裂きをお見舞いするからね！」
――――ルックってさ、素直じゃないよね、と笑っていたデュオンの姿を思い出した。似た者同士。だから仲がいいのか、と思いながら、切り裂きを本当にあてられてはたまらないとばかりにさっさと退散する。
ルックの言ったように、人のことを気にしている余裕なんてない。
けれど、せっかく私人としてリアンに手を貸してくれると言ってくれた人だ。落ち込んで、どうしようもないときにリアンに手を差し伸べてくれた人なのだ。
憧れで、強いはずなのに、どこかその背中がさびしかった。ふとしたときに距離を感じる。それは、トランとデュナンという国の違いではなくてもっと根深いものだった。
近づこうなんておこがましいのかもしれない。自己満足で自分のことさえ満足できない。
ただ、そばにいると選んでくれたのはデュオンだ。リアンの手を取らないという選択肢もあったのに、暇だからと言いながらもアース城に来てくれた。
いつものように笑っていればいい。
ルックがそういうということは、きっと今のデュオンに必要だということだ。
とりあえずもっと話しかけてみよう。嫌がられなければ一人のときに、隣に行ってみよう。
ただ今は、できたばかりの友人のことをもっと知りたい。その気持ちを持って。
＊＊＊＊＊ ＊＊＊＊＊
「どっちも不器用だよ」
ルックはリアンの後ろ姿を見てつぶやいた。
かくも鮮烈な生きざまを見せたデュオンと違ってリアンはどこまでも普通の少年だった。つい、手を貸してしまうのはデュオンのときにしみついた癖のようなものだろうか。
大切なものを守るために英雄という立場を利用したリアンはまだ知らない。英雄の持つ闇の深さを。
ただ、デュオンが未だ癒しきれぬ傷を抱えていることに気づいたのは、彼もまた英雄と呼ばれるからだろうか。
「ほんと、面倒」
彼らの生き方は不器用だ。
だからこそ英雄のまわりには人が集まる。その生き様に、意思に、信念に、声に導かれるように。きらきら輝く貴石が集い、大きなうねりになる。
運命に抗う力とするために。
そしてまた星が動き始める。戦いの終焉に向けて。
ルックは石版に掘られた名前をそっと指でなぞる。天魁星。
リアンがどんな答えを出すのか、そう遠くない未来を思って目を閉じた。
※相互記念に頂きました。素敵ですよね。他家の設定でここまで書けるなんて尊敬です。
ありがとうございました！
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