ＣＡＳＥ・１ 家族と呼ぶ存在。（ナナミ）
それは、何度目かにデュオン・マクドールがアース城を訪れた時のこと。
ナナミは桃色の胴着に青緑のズボンといったいつもの動きやすい格好のまま、喧騒が遠く聞こえる人気のない廊下で、彼を少しきつい口調で呼び止めた。
「マクドールさん」
「何？」
見かけは同い年位なのに、振り返った赤い上衣に緑のバンダナ姿の少年は、酷く大人びた雰囲気をしている。
「あの子と……リアンといつも何話してるの」
リアンとは彼女の血のつながらない弟で、今は同盟軍の軍主でもある。もちろん血はつながっていなくても、本当の家族だと思っているが。
ナナミはデュオンに対して軍人の空気を感じるため、弟が近付くのにあまり良い印象を持っていない。意識しなくてもつい少し拗ねた声音がにじみ出てしまう。半分は嫉妬だと解ってはいるのだが。
だが彼はそれを気にした様子もなく、ナナミの問いかけに少し考えた後、こう答えた。
「……僕のこと」
「そう……」
不満の残る声でナナミが視線を落とすと、彼は僅かに顔を覗くようにして、尋ねてきた。
「ナナミ……何かあった？」
「……」
まさか貴方のせいですとも言えず、ナナミは押し黙った後、
視線だけで彼を見上げて、少し挑むように言葉を続けた。
「だってあの子最近すぐわたしを置いて行こうとするんだもの。あの子、わかってないもの。自分の方こそ、守らなきゃいけないのに」
「……」
彼は肯定も否定もしない。ただ、静かな眼差しを返すのみだった。
「狡いじゃない？ どうしてわたしを置いてくのよ」
ナナミの眼は、明かに〝彼〟を責めている。
「そのくせ貴方のことは毎回トランまで迎えに行くみたいだし」
そう指を突きつけると、彼はしばらく困ったように考えていたけれど。
「要するに、ナナミは彼と一緒に行きたいんだ」
確認するようにそう口にした。
「そうよ、当たり前じゃない。――リアンはわたしが守るもの」
その真剣な表情に、彼は眼を留める。
「それなのに、ユニコーン隊に入るって決めた時もそうよ、わたしをのけ者にして。
それにジョウイはハイランドに帰っちゃうし、それもルカ・ブライトがいなくなるまでだと思ってたのに、こんなことになっちゃうし」
ナナミはきつく自分の服の裾を握りしめた。
「わたしには二人が争わなきゃならない理由なんて解らない。でも、あの子、やっぱり大変で辛そうだもの。せめて、傍にいて、守りたいのよ。
――ずっと、そうして来たんだもの、リアンも、ジョウイも、わたしが守るんだって。ずっと、一緒に居られると思ったの。
それなのに何で？ 何も言ってくれないの？ わたしが女の子だから？ だから置いてかれなきゃならないの？」
彼は困った風に眉を寄せ、僅かだけ苦い表情を見せた。
「それは、どうだか……現に僕だってグレミオを置いて行こうとしたこと、あるからな……」
「え！？ どうして？ 何で！！」
つかみかからんばかりの素晴らしい反応速度で聞き返すナナミに、彼は少し遠い目をした。当時を思い返しているのだろうか。
「まぁ……一言で言えば、自立したかったってことなのかな……。でも本当はそれさえも我が侭でね、そんな自分も認めて欲しいと思ってるんだ」
「……」
言ってる意味がよく解らない。
「……どういうこと？ 待ってるだけなんて嫌なのに、頼りにして欲しいのに、それじゃ、いけないの？」
「……」
返ってくるのは、ただ、沈黙。
「狡いわよ、マクドールさんは 色々知ってて、余裕もあって、教えてくれたっていいじゃない？ リアンを……そっち側に連れて行かないで……！！」
拳を握ってそう叫ぶと、彼はどこか哀しげに苦笑する。その表情を見て、少し、言い過ぎたかとも思う。
だけどこれは、いつわりない自分の感情だった。
「そうか……そんなつもりは……」
（なかったと、本当に言えるのか？）
彼は言葉に詰まって、迷うような数瞬の間の後、口を開いた。
「彼に……こっち側に来て欲しいわけじゃないんだ。彼は……きっと大丈夫だと思うから」
「何で、大丈夫だなんて解るの！？」
あの子、苦しい筈なのに。
彼の答えは、到って静かだった。
「彼は未だ、失くしてはいないから」
「……失くすって、何を？」
故郷を？ ジョウイを？ ――それとも？
「一番 守らなければならないものを……かな……」
「……？」
それってなんなのだろう？
「僕は……ただ、僕に出来ることがあるなら、力を貸したかった」
でも、それがわたしを独りにする。
「じゃあわたしは……わたしが守る必要はもうないって言うの？」
言いつのるナナミに、彼は真剣な眼差しを向けた。
「……言っとくけど、君が必要ないなんて、思わないでよ？ 君は、君が思うより、必要な存在なんだ」
「何でマクドールさんにそんなこと解るのよ？」
「……僕が、そうだったから 」
そうつぶやいた彼は、どこか苦しそうに見えた。
「リアンとマクドールさんは違うわ」
「だったら」
彼は正面から視線を合わせる。
「君は、どうしたい？」
「わたし？ わたしは―― 」
どうしたい？
どうすればいい？
わたしは――……
「……ジョウイと、仲直りしたい。解らないこと、全部聞いて昔みたいに一緒にいたい。三人、一緒に。
わたし、知ってるもの。ジョウイ、本当はすごくいい子だもの。リアンだってそうよ。本当は、戦わなくちゃならない理由なんて、ないはずなの」
「……」
（大義的な〝理由〟 なら少しは想像がつく。
それに、恐らくジョウイ自身にも〝理由〟が存在するのかも知れない。
――それでも）
「……だったら、君は、君でいればいい」
「え？」
「あの二人を皇王でもリーダーでもなく、純粋にあの二人自身として見ているのは、きっと、君だけだから」
そういう存在が必要なんだと、彼は言った。
そして、微笑む。
「――そうね、そうだよね。何とか出来るよ。ジョウイとリアンを信じてるものわたし」
「そう……」
「うん。ありがとうマクドールさん。でも……」
ジトッと彼を見詰めて。
「今度は絶対くっついてって、わたしの方が役に立つって証明してみせるんだから！」
その言葉に、彼は思わずといったようすで眼を細めた。
（――でもね）
「……ナナミ 」
「何？」
「いや……君が彼を思うように、彼も君が心配なんだよ。だから……君も、気をつけて」
「大丈夫よ 」
怒ったようなナナミの言葉に彼はあいまいに微笑んだ。
ナナミはぷいと彼に背を向けてズンズンと歩き去って行く。
（――もし、それで君が死んでしまったら。多分それはリアンにとって、世界を失うのと同じ意味を持つから）
彼はそれを言葉にはしないまま、その背中を見送った。